パストラル[pastoral]

 狭義には、田園の理想郷を舞台に牧人達が恋の歌を競い合うという文学の一様式。その起源は古代ギリシャのテオクリトス(Theocritus)にまで遡るが、それを継承してパストラル文学の礎を築いたのは、古代ローマのウェルギリウス(Virgil)の『牧歌(Eclogues)』である。舞台は山間の隔絶地アルカディアに置かれ、そこでの生活が自然讃歌と共に黄金時代の理想郷に重ねられて、自然・動植物・人間(牧人)による完全なる調和の世界が展開する。この作品はローマ在住の読者を想定しているが、このことは田園の理想郷の希求は都会の文明人の視点からのものであったことを意味する。すなわち、そこには都会と田園という弁証法的な対立あるいは往還(retreat & return)の図式が認められるのであり、その中での自然と人間とのあるべき関係の探究というテーマは、形式的な約束事が消滅したあともパストラルと呼べるものの中に残ることになる。

 パストラルに描かれた理想郷は、ウェルギリウス以後どのような変化を辿ったのか。田園を自然と人間の幸福な調和の世界とみなす古典的パストラルの伝統は、ルネサンス期に入ると労働とは無縁の羊飼い達が「ロクス・アモエヌス(心地よい場所)」を活躍の場とするE・スペンサー(Edmund Spenser)やP・シドニー(Philip Sidney)らの作品において復活する。しかし、産業・農業革命などの影響によって田園社会が変質する18世紀以降、虚構のアルカディアは失われて田舎の厳しい現実に目が向けられ始める。伝統と現実との乖離の中でパストラルの不可能性を説くこの時代の作品を、T・ギフォード(Terry Gifford)はアンチ・パストラル(anti-pastoral)と呼ぶ。その中には、悲惨な農民の生活を強調したG・クラッブ(George Crabbe)の『村(The Village)』(1783)やW・ワーズワス(William Wordsworth)の「マイケル(“Michael, A Pastoral Poem”)」(1800)などが含まれる。

 パストラルが隆盛を見た古代地中海世界やルネサンス、ロマン派期のイギリスなどは、いずれも高度な都市文明が発達してテクノロジーの進歩が社会を揺り動かしたという共通点を持つ。そのような背景があればこそ、人間の影響力の及ばない不変・不動の自然環境の持つ力が求められたと言える。ところが、その状況は近代化の中で変化し、自然は人間の手によって変更可能なものとなってその独立性・永遠性を失ってゆき、都会と田園の区別は難しくなる。田園の喪失のあとには何が来るのか。新しい時代のパストラルの中で、都市文明への批判の道具にすぎなかったとも言える自然は主役となり、その意味が問われてゆく。

 パストラルもアンチ・パストラルも成立しえなくなった時代のパストラルをギフォードはポスト・パストラル(post-pastoral)と呼び、それを通して自然への畏怖を持ってその本質を理解しつつ自然との新たな関係を構築してゆくべきであると説く。ギフォードが例として挙げているのは、W・ブレイク(William Blake)から始まってH・D・ソロー(Henry David Thoreau)、J・ミュア(John Muir)、D・H・ロレンス(D. H. Lawrence)、T・ヒューズ(Ted Hughes)、A・リッチ(Adrienne Rich)らの作品であり、ポスト・パストラルの時代は近代の環境思想の発展の過程と重なる。J・バレルとJ・ブル(John Barrell and John Bull)は20世紀始めのW・B・イェイツ(W. B. Yeats)らの作品をもってパストラル文学の終焉としているが、環境批評の視点の導入によってパストラルは、足下の日常から広大なウィルダネスまで我々を取り巻く環境全体を考える、未来をも見据えた重要な文学として、環境主義(environmentalism)の地平を拡げていると言える。

 最後に、日本におけるパストラルについても触れておきたい。明治期に西洋文学が流入する中で、パストラルも自然と人生との結びつきを考える言説の一つの準拠枠として取り入れられた。国木田独歩の『武蔵野』(1901)はその例として挙げることができる作品であるが、そこで独歩は、大都市周縁部にあって「生活と自然とが・・・密接している」武蔵野という場所を理想郷としてパストラル世界を描出している。これは、文明と自然、或は都会と田園という西洋における対立概念をどのように自らのものとして表現するのかという、日本の作家達が直面した問題に対する答えの一つであったと言えるだろう。

(今村隆男)

 

参考文献

・生田省悟「脱中心としてのパストラル―自然をめぐる近代の言説から」『フォリオa』第5号(1999):45-54.

・ハロルド・フロム、ポーラ・G・アレン、ローレンス・ビュエル他『緑の文学批評―エコクリティシズム』伊藤詔子、横田由理、吉田美津他訳(松柏社、1998)

・ジョナサン・ベイト『ロマン派のエコロジー―ワーズワスと環境保護の伝統』小田友弥、石幡直樹訳(松柏社、2000[原著:1991])

・レオ・マークス『楽園と機械文明:テクノロジーと田園の理想』榊原胖夫、明石紀雄訳(研究社出版、1972[原著:1964])

・ジェイムズ・C・マキューシック『グリーンライティング―ロマン主義とエコロジー』 川津雅江、小口一郎、直原典子訳(音羽書房鶴見書店、2009[原著:2000])

・Buell, Lawrence. The Environmental Imagination : Thoreau, Nature writing, and the Formation of American Culture. Cambridge, Mass.: Belknap P of Harvard UP, 1995.

・Garrard, Greg. Ecocriticism. Abingdon: Routledge, 2004.

・Gifford, Terry. Pastoral. London : Routledge, 1999.

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