汚染の言説[Toxic Discourse]

 汚染の言説(toxic discourse)とは、有毒物質や環境汚染に対する不安や恐れを表現したもの、あるいはその意味やそれが形成されるに至ったプロセスや仕組みを分析する概念を指す。1998年、L・ビュエル(Lawrence Buell)は『クリティカル・インクワイアリー(Critical Inquiry)』誌に「汚染の言説(Toxic Discourse)」と題した論文を発表し、これまで科学、医学、歴史学、社会学といった分野でしばしば論じられてきた「汚染された世界の不安」(639)を、文学や言語の領域から論じることの重要性を明らかにした。ビュエルは汚染の言説を「人間の手による科学操作によって引き起こされた環境危機の知覚的脅威から生じた不安を表現したもの」(Writing 30-31)と定義し、ウィルダネス保護を中心としてきた環境運動と人権を強調する社会運動を結びつける新たな言語体系として提唱している。汚染の言説には、有毒物質や環境汚染を描いた文学・映像作品、市民やコミュニティの汚染に対する懸念や恐怖を取り上げたメディア報道やポピュラーカルチャー、汚染訴訟の証言などが含まれる。
 その具体的な機能には(1)不安から生じる社会的連帯、(2)企業による有毒物質の廃棄やそれを排出する施設の誘致に対する抑制力、(3)環境汚染や有毒物質に関する法律の強化、などが挙げられる。汚染の不安から生じる社会的連帯の実践例としてとりわけ重要なのは、アフリカ系、ヒスパニック系、先住民、低所得者層らの居住地域に有害廃棄物処分場が集中しているという事実に注目し、地域の環境保護と社会的公正を訴える環境正義(Environmental Justice)の運動である。有毒物質や汚染に対する市民の不安を原動力としてきた環境正義運動は、これまで「白人の中間層の運動」(岡島180)と呼ばれてきたアメリカ環境運動に、女性やマイノリティの参加や視点を取り入れることに成功した。このような動きは文学作品においてもみることができ、農薬汚染の問題を扱うチカーナ作家C・モラガ(Cherrie Moraga)の戯曲『英雄と聖者(Heroes and Saints)』(1994)や、遺伝子汚染問題に注目した日系アメリカ人作家R・L・オゼキ(Ruth L. Ozeki)の小説『オール・オーバー・クリエーション(All Over Creation)』(2003)といった作品は、汚染の不安を喚起し、「汚染されていない場所に住む」民衆の権利を訴えながら、社会的連帯を促進している。
 一方で、汚染の言説の特徴の一つでもある曖昧性(あるいは不確実性)が議論の対象となることも少なくない。往々にして、汚染物質や有毒物質に関する既存のデータは不完全であり、病気と汚染の因果関係を証明することは困難であることから、たとえ強力な科学的根拠に基づいたものであったとしても、汚染の言説自体は「主張」あるいは「ほのめかし」でしかなく、汚染が存在することの「証明」にはならないとビュエルは指摘している(Writing 48)。このような特性は、汚染問題の法的処理の難しさにつながることもある。例えば、原爆症認定訴訟では、がんなどの原告の疾病が放射線被曝や放射性降下物による被曝に起因していることを証明できるかどうかが争点の一つとなっており、放射線の人体への影響は実証しにくいという理由から、被曝者や医師の証言が認められないこともある。
 アメリカにおける汚染の言説はR・カーソン(Rachel Carson)の『沈黙の春(Silent Spring)』(1962)を嚆矢とする。DDTなど化学薬品の毒性の脅威やそれに対する不安を言語化した『沈黙の春』は、後のアメリカ環境保護運動、特に草の根レベルの市民運動や女性のネットワークの推進に大きく貢献した。また、『沈黙の春』の背景に核戦争の脅威が存在したように、環境破壊を描いた多くの文芸作品やポピュラーカルチャーの起動力となったのが冷戦時代の「核の不安(nuclear anxiety)」であった。ユタ州で暮らしてきた母、伯母、祖母たちのがんが、ネバダ州の核実験場からの放射性降下物に起因にしているかもしれないという問題を追求したT・T・ウィリアムス(Terry Tempest Williams)の『鳥と砂漠と湖と(Refuge: An Unnatural History of Family and Place)』(1991)は、核汚染への不安を描いた最も代表的なクリエイティブ・ノンフィクションであるといえるだろう。ウィリアムスは、汚染と病気の因果関係が証明不可能であるとしながらも、汚染の安全性を証明することもできないと主張し、汚染の言説の曖昧性や不確実性そのものが有効な修辞的戦略となりうることを示した。
 汚染の言説として代表的な日本文学作品には、水俣病問題を描いた石牟礼道子の『苦海浄土』(1969)や長崎の原爆に向き合い続ける林京子の「祭りの場」(1975)や「長い時間をかけた人間の経験」(2000)といった小説がある。

参考文献
・石牟礼道子『苦海浄土?わが水俣病』(講談社文庫、1972年)
・エコクリティシズム研究会企画、伊藤詔子監修『オルタナティヴ・ヴォイスを聴く―エスニシティとジェンダーで読む現代英語環境文学103選』(音羽書房鶴見書店、2011年)
・岡島成行『アメリカの環境保護運動』(岩波新書、1990年)
・上岡克己、上遠恵子、原強編著『レイチェル・カーソン』(ミネルヴァ書房、2007年)
・林京子『林京子全集』全8巻(日本図書センター、2005年)
・テリー・テンペスト・ウィリアムス『鳥と砂漠と湖と』石井倫代訳(宝島社、1995年[原著:1991])
・レイチェル・カーソン『沈黙の春』青樹簗一訳(新潮社、1974年[原著:1962])

・Buell, Lawrence. “Toxic Discourse.” Critical Inquiry 24 (1998): 639-65.
---. Writing for an Endangered World: Literature, Culture, and Environment in the U.S. and Beyond. Cambridge: Belknap-Harvard UP, 2001. 
Yuki, Masami. “Why Eat Toxic Food?: Mercury Poisoning, Minamata, and Literary Resistance to Risks of Food.” ISLE 19 (2012): 732-50.


2014年11月10日公開

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