Ecocritical Keywords
環境文学用語集
ウィルダネス[wilderness]
「荒野」「原生自然」と訳されることが多い。定義の例として、全米アウトドア協会による「公道を含まない」10万エイカー以上のエリアというものや、国立原生自然保全制度による「風景に人や人工物が介入せず、大地と生命のコミュニティが人によって拘束されていない地域」というものがあるが、環境文学/エコクリティシズムの批評的文脈においては、ウィルダネスは必ずしも物理的な空間のみを指すわけではなく「心的な規準(the mental criteria)」に基づくとする定義を参照すべきである(Nash 4)。ある空間の人工性の有無を判断するのが人間である以上、「ウィルダネス」は人間の内面が投影された社会的・文化的な概念空間を指し示すことになるからだ。
ウィルダネスの構築性については、E・バーク(Edmund Burke)『崇高と美の観念の起源』(1757年)を補助線とすることでより良く理解される。バークは崇高(sublime)の源として「驚愕」「恐怖」「曖昧さ」(62)を挙げているが、このような感情を喚起する原生自然がウィルダネスの特徴である。その意味で、W・ワーズワス(William Wordsworth)の“Tintern Abbey”(1798年)も、一面では幼年期のパストラルな自然への憧憬を描きながら、他面では荒れ果てた風景に崇高を認めているという点で、ウィルダネスをめぐる問題系を意識して描かれた詩であると言える。
19世紀アメリカにおけるウィルダネスは、西部開拓に伴う「フロンティア」の概念と共鳴しながら、開拓され文明化されるべき過酷な物理的環境として立ち現れた。過酷な自然を「楽園」に変えようとする「荒野への使命」という歴史の影に、森林伐採などの環境破壊や、先住民の駆逐といった暴力の歴史があった。国土拡張と商業主義が手を結ぶ動向に対して、アメリカン・ルネサンスの作家たちは様々な形で文学的な反動を示した。R・W・エマソン(Ralph Waldo Emerson)はNature(1836年)や“American Scholar”(1837年)の中で、ヨーロッパが有する伝統的な文化の代わりに、新世界アメリカには広大なウィルダネスが存在し、それこそが旧世界ヨーロッパとは一線を画す独自の文学素材であると主張した。P・ミラー(Perry Miller)も述べるように、自然国家アメリカは、「原初の汚れのない、ロマンティックな自然の美徳との同一化」を試みた(338)。
19世紀のアメリカ作家H・D・ソロー(Henry David Thoreau)は『メインの森』(1864年)の第一話“Ktaadn”の中で、過酷で無関心なウィルダネスに対峙して「岩、木々、頬に吹く風!確かな大地!生身の世界!コモンセンス!触れよ!触れよ!私たちは誰なのだ?どこにいるのだ?」(Maine 71)と書いている。ここでソローはウィルダネスを「自然の美徳と同一化」しえない他者として描いている。ソローのエッセイ「ウォーキング」(1862年)の「野生のなかにこそ世界が保たれる」という一節がウィルダネスを考える上でしばしば参照される(Excursion 202)。しかしこの一節で留意しなければならないのは、ソローはウィルダネスではなく「野生(wildness)」という単語を用いている点だ。M・ルイス(Michael Lewis)は、ウィルダネスとワイルドネスの違いを、人間の尺度から見た大きさに依存すると述べている。ワイルドネスが身近な自然の摂理を示す一方、ウィルダネスは「人間の尺度を基準として規模が大きいもの」とされる(6)。たしかに人間にとって驚くほどの「大きさ」は、崇高性と結びつく尺度であるため、ウィルダネスの定義に加えてもいいかもしれない。しかし、L・ビュエル(Lawrence Buell)が述べるように、ソローは「家の近くで発見した野生の痕跡を敬うこと、すなわち過度な文明化への対策」(191)としてウィルダネスを捉えていた。つまり、ワイルドネスがある種の普遍性を有する自然の摂理である一方、ウィルダネスは、物理的な指示内容をもちながら、同時にその判断基準が歴史的、文化的な諸条件に大きく依存する社会的構築物であると理解するのが適切であるように思われる。
また、ソロー作品において、ウィルダネスの発見が環境保全の視座の導入と同時並行であるのも注目すべき点である。ウィルダネスと環境保全という構図を引き継いだのが、J・ミューア(John Muir, 1838-1914)と、A・レオポルド(Aldo Leopold, 1887-1948)である。 ミューアはシエラ・ネヴァダ山脈を踏破する本格派のアウトドア作家であり、ウィルダネス保護運動に尽力した。彼は観念としてのウィルダネスを再度、物理的空間に引き戻すことで、保全すべき自然空間の存在を示した。レオポルドも、ウィルダネスを保存することの必要性を訴え、その思想は「大地の倫理(land ethic)」として知られる。E・アビー(Edward Abbey)もウィルダネスに魅了された作家の一人であり、ウィルダネスを「失われたものであり、現存するものでもある。遠くにあり、同時に親密なもの」(166-67)と書く。ウィルダネスは撞着語法的なダイナミクスを持つものであるのだ。
G・ガラード(Greg Garrard)が指摘するように、ウィルダネスはイデオロギー化し、政治化するものであり、必ずしも文明と対立する概念ではない。ウィルダネスは物理的で人間存在とは相容れない過酷な自然であると同時に、人間の想像力に不可欠な観念的な領域である。この多義性こそがウィルダネスのきわめて重要な特徴である。
(山本洋平)
参考文献
伊藤詔子「ウィルダネス」文学・環境学会編『たのしく読めるネイチャーライティング』(ミネルヴァ書房、2000)244.
上岡克己「ウィルダネス」『ユリイカ』(青土社、1996)227-28.
エドマンド・バーク『崇高と美の観念の起源』中野好之訳(みすず書房、1999[原著:1757])
ペリー・ミラー『ウィルダネスへの使命』向井照彦訳(英宝社、2002[原著:1956])
Abbey, Edward. Desert Solitaire: A Season in the Wilderness. New York: Simon & Schuster, 1970.(エドワード・アビー『砂の楽園』越智道雄訳[東京書籍、1993])
Garrard, Greg. Ecocriticism. Abingdon: Routledge, 2004.
Lewis, Michael L. American Wilderness: A New History. Oxford: Oxford UP, 2007.
Nash, Roderick. Wilderness and the American Mind. New Haven: Yale UP, 1967.
Thoreau, Henry D. The Maine Woods. Ed. Joseph J. Moldenhauer. Princeton: Princeton UP, 1973.(ヘンリー・D・ソロー『メインの森』小野和人訳[講談社、1994])
---. Excursion. Ed. Joseph J. Moldenhauer. Princeton: Princeton UP, 2007.(ヘンリー・D・ソロー『ウォーキング』大西直樹訳[春風社、2005])
2014年12月10日公開
エコクリティシズム/環境批評 [ecocriticism / environmental criticism]
「エコクリティシズム(ecocriticism)」とは、20世紀後半における地球環境の破壊に対する危機意識を背景に形成された、生態学における諸概念や哲学などに見られるエコロジカルな思想を取り入れた文学批評のジャンルである。環境破壊の拡大に対し、文学の分野から積極的に関わっていくという姿勢、そして文学作品やその研究が環境問題の考察に少なからず貢献するという意識がその特徴として挙げられる。「環境批評(environmental criticism)」とは、2005年にL・ビュエル(Lawrence Buell)がエコクリティシズムに代わる名称として提唱したもの。従来の「(原生)自然」に重きをおいた研究の範囲を拡大し、社会における種々のイデオロギーや制度とも交錯するハイブリッドな領域としての「環境」を射程に入れることが意図されている。しかしながら現在でも「エコクリティシズム」がこの批評ジャンルを示す名称として一般的に使用されている。
エコクリティシズムという用語自体は、1978年のW・リュカート(William Rueckert)による“Literature and Ecology: An Experiment in Ecocriticism”という論文(Glotfelty and Fromm 105-23)において初めて使用された。リュカート自身はその語を、人間と自然という「二つの共同体が生物圏において共存し、協力し、そして繁栄する」方法を模索するための「実験的批評」としている(Glotfelty and Fromm 106-07)。また生態系におけるエネルギーの流れと同様の関係性を作家、文学作品、そして読者のつながりの中に見出し、そこで相互依存と共生の意識が生み出されることを期待している。この時期に文学批評とエコロジーとの関係に注目したのはリュカートだけではない。例えば1972年にはすでに、J・ミーカー(Joseph Meeker)によって喜劇というジャンルをエコロジカルなヴィジョンと関係づけた『喜劇とエコロジー』(邦訳1975年、改題新版1988年)が出版されている。
しかしながら、エコクリティシズムが一つのまとまった動きとして文学批評の分野に現われてきたのは、1990年代に入ってからのことである。1992年のASLE-USの設立を経て、1996年にそれまでの研究の集積としてThe Ecocriticism Readerが出版された。その編者であるC・グロトフェルティ(Cheryll Glotfelty)による序文において、文学批評全体におけるエコクリティシズムの位置づけが初めてなされたと言える。彼女によれば、当時の文学研究においては人種、階級、そしてジェンダーが重要な批評カテゴリーとして認知されていたものの、そこに環境に対する関心は全く見られなかったという。それに対しエコクリティシズムは、「『世界』という概念」を人間の社会だけでなく「生態圏全体にまで拡大する」ことを狙いとする「地球中心のアプローチをとる」とされている。さらに基本的前提として「人間文化は物理的世界とつながっている」こと、そして主題としては「自然と文化、特に言語や文学といった文化的構築物との相互関係」がそれぞれ挙げられている(Glotfelty and Fromm xviii-xix)。このグロトフェルティによる概観には、テクストもしくはイデオロギーにのみ目を向けがちであった当時のポスト構造主義以降の文学批評に対して、文化や社会の基盤として確かに存在する自然環境を強調するエコクリティシズムの立場がよく表れている。しかし同時にそこには反動的な傾向も見出されることは否定できず、その点が後に問題視されることとなる。
1990年代にはエコクリティシズムに関する多くの研究書が出版されるようになったが、代表的な研究としては、H・D・ソロー(Henry David Thoreau)を参照点として、「環境的想像力(environmental imagination)」という観点からアメリカ文学における正典(キャノン)の再検討を試みるビュエルのThe Environmental Imagination(1995)と、新歴史主義批評によるイデオロギー的読解に対して、「赤から緑へ」というスローガンのもとにW・ワーズワス(William Wordsworth)のテクストに存在する環境意識の伝統の源流を評価しようとするJ・ベイト(Jonathan Bate)の『ロマン派のエコロジー』(1991)が挙げられる。
一方で2000年以降には、エコクリティシズム内部からその批評方法を問い直そうとする論考が数多くみられるようになっている。それらが取り上げる問題点は、主に二つの方向に集約することができる。まず自然環境、作家、そして作品のつながりに対する素朴な意識を問い直す姿勢が挙げられる。エコクリティシズムは、自然環境が人間により疎外されているという問題意識に基づいている。よってそこでは、両者の直接的な関係を描き出す(とされる)ネイチャーライティングのようなノンフィクションのリアリズム形式のテクストが好まれる傾向がある。しかしながらD・フィリップス(Dana Phillips)は、過度のミメーシスは媒介としてのテクストをできる限り透明にすることを望むがゆえに、テクストを「冗長さのみがあるだけの硬い皮」としてしまうという。そこでは構造主義以降の批評理論が示してきたテクストの複雑な意味生成の可能性が否定されてしまうということ、そして自然を直接的に知覚し表現する作家の「天才」を賛美するという「一種のファンクラブ」的な批評が生産されることへの懸念が示されている(Phillips 16、135)。
エコクリティシズムに見出されるもう一つの問題点として、「(原生)自然」への過度の偏向が挙げられる。グロトフェルティが述べていたように、エコクリティシズムは文学批評における自然環境の重要性を示すことをその目的としてきた。しかし今度はそこで文化や社会などの人間による活動が等閑視されていることが、逆に問題とされてきたのである。G・ガラード(Greg Garrard)は、エコクリティシズムに多く見られる純粋な自然としてのウィルダネスの賛美について、そうした純粋さは「自身を生み出す社会的そして政治的な歴史を抹消」することで成り立っているのであり、ゆえに「反動的な政治性へと至る」と言う(Garrard 71)。穢れの無い善き自然という概念に価値を付与しているのは実は文化であり、よってその存在を完全に否定することは、そういった価値基準自体を否定することになり、考察としては不十分なものとなる。
上記のような問題意識を受けて、ビュエルが提唱したのが「環境批評」である。これは単に「エコクリティシズム」から名称を変えただけではなく、批評における意識の転換をも示している。ビュエルは従来のエコクリティシズムを「第一波」とし、それに対する「第二波」の環境批評は「『自然的なもの』のみの領域を超えて環境の概念を拡張」することを一つの特徴としていると言う。そして「文学や歴史において『自然的な』そして『社会的な』環境がいかにお互いに影響を与えあっているか」に注目すること、また「人間の最も本質的な欲求のみならず、それらの要求とは無関係な地球と地球上の人間以外の生物の状況と運命にも人間が対応すること」の重要性を訴えている(ビュエル 147)。このような環境批評の可能性の一つとしてビュエルが示すのが、「21世紀初頭のエコクリティシズムの最大の挑戦」ともされる環境正義(environmental justice)の視点に基づいた批評である(ビュエル 163)。その実践としてはJ・アダムソン(Joni Adamson)らが編集したThe Environmental Justice Reader(2002)や、2008年に出版されたS・スロビック(Scott Slovic)らによる『エコトピアと環境正義の文学』などが挙げられる。
(巴山岳人)
参考文献
・ローレンス・ビュエル『環境批評の未来―環境危機と文学的想像力』伊藤詔子他訳(音羽書房鶴見書店、2007[原著:2005])
・ハロルド・フロム、ポーラ・G・アレン、ローレンス・ビュエル他『緑の文学批評―エコクリティシズム』伊藤詔子、横田由理、吉田美津他訳(松柏社、1998)
・ジョナサン・ベイト『ロマン派のエコロジー―ワーズワスと環境保護の伝統』小田友弥、石幡直樹訳(松柏社、2000[原著:1991])
・Garrard, Greg. Ecocriticism. Abingdon: Routledge, 2004.
・Glotfelty, Cheryll, and Harold Fromm, eds. The Ecocriticism Reader: Landmarks in Literary Ecology. Athens: U of Georgia P, 1996.
・Phillips, Dana. The Truth of Ecology: Nature, Culture, and Literature in America. Oxford: Oxford UP, 2003.
エコフェミニズム/エコロジカルフェミニズム [ecofeminism / ecological feminism]
【理論編】
エコフェミニズムという語は1974年、フランス人フェミニストのF・デュボンヌ(Françoise d'Eaubonne)の著書『フェミニズムか死か(Le Féminisme ou la mort)』で初めて使用され、誕生した。エコロジカルフェミニズムとも呼ばれる。デュボンヌは、現在ではフェミニズムの第三の波とも称されるエコフェミニズムを「エコロジー革命を起こす女の可能性」と定義づけていた。
リブ期(70年代)にフランスで登場したエコフェミニズムは、その後、主としてアメリカで展開していった。フェミニズム期(80年代)のエコフェミニズムの論調は主として「自然破壊と女性の抑圧には関係がある」というものであった。その後に登場したポストフェミニズム期(90年代以降)のエコフェミニズムは、ポスト構造主義と同様、〈女性〉というカテゴリー内の多様性を主題化している。その結果、エコフェミニズムにクイアの視点を入れたクイア・エコフェミニズムなど、多様なエコフェミニズムが登場している。
日本におけるエコフェミニズムは、80年代、主にI・イリイチ(Ivan Illich)の著作を通じて偏った形で輸入された。青木やよひが女性原理を称賛する前近代的なイリイチ流のエコフェミニズムを踏襲・流布した一方で、上野千鶴子はフェミニスト人類学・マルクス主義フェミニズムの立場から、青木の女性原理称賛が二項対立を温存し、さらには助長するものとして非難した。その結果として青木・上野論争が勃発、結局は1985年に上野が勝利した形となった。このためエコフェミニズムは、日本でその発展の契機を失った。
H・イートンとL・A・ローレンツェン(Heather Eaton and Lois Ann Lorentzen)は、これまでの複雑多様なエコフェミニズムの主張を三つの流れに大別している。それらは、①女性は環境負荷をより多く被る ②西欧では女性と自然は概念・象徴的に結びつけられてきた ③女性は環境についての知識を多く持つ というものである。
現在、エコフェミニズムの思想・理論は主に文学、環境社会学、開発学、哲学、宗教学といった分野で展開されている。文学分野で展開されているのが、エコクリティシズムにエコフェミニズムの思想・理論を導入した「エコフェミニスト批評」(例えばGreta Gaard and Patrick D. Murphyを参照)である。同批評では、テクスト内の女性/自然の表象とその効果、二項対立(男/女、文化/自然など)の脱/構築、などに焦点が当てられる。これらの観点から注目される作家として米国のT・T・ウィリアムス(Terry Tempest Williams)が挙げられる。
【実践編】
エコフェミニズムの実践の国際的潮流については、1991年に「健康な地球のための世界女性会議」が米国フロリダ州マイアミで開催され、環境問題が女性の視点から初めて議論されている。その結果、「女性のアクション・アジェンダ21」が採択された。それは最終的に、1992年の地球(リオ)サミットで採択された「アジェンダ21」の第24章「環境と女性」として結実した。同様に1993年の世界人権会議、1994年の国連人口開発会議、1995年の北京女性会議などでもエコフェミニズムに関連した問題群が取り上げられている。
さらに具体的な実践・運動には、女性たちが木に抱きついて森林を守ろうとしたインドの「チプコ運動」がある。また、ノーベル平和賞受賞者のW・マータイ(Wangari Maathai)を中心として、女性たちが数千万本の木を植えたケニアの「グリーンベルト運動」もある。日本では、60年代の北九州市の「青空がほしい運動」、70年代後半~80年代前半の滋賀県・琵琶湖の「せっけん運動」、80年代の石垣島の「石垣島新空港建設問題」に関連した運動などが環境と女性の観点から注目されている。
(森田系太郎)
参考文献
・青木やよひ『フェミニズムとエコロジー』[増補新版](新評論、1994)
・テリー・テンペスト・ウィリアムス『鳥と砂漠と湖と』石井倫代訳(宝島社、1995[原著:1992])
・上野千鶴子『女は世界を救えるか』(勁草書房、1986)
・Eaton, Heather, and Lois Ann Lorentzen, eds. Ecofeminism and Globalization: Exploring Culture, Context, and Religion. Lanham, MD: Rowman & Littlefield, 2003.
・Gaard, Greta, and Patrick D. Murphy, eds. Ecofeminist Literary Criticism: Theory, Interpretation, Pedagogy. Urbana and Chicago: U of Illinois P, 1998.
エコロジー/生態学[ecology]
ギリシャ語oikos(家)とlogos(ロゴス)から合成された19世紀の造語。元来のエコロジーは、生物と生物の関係、生物とそれを取り巻く無機的環境との関係を研究する生物学の一分野である。具体的には、生物の分布と個体数を明らかにしようとする学問分野で、階層性(個体、個体群や群集)と複雑性(生態系における食物網や生物間の相互作用)についての科学である。エコロジー(生態学)は、E・ヘッケル(Ernst Haeckel)によって1866年に「生物の家計(個体や生物群の間の物質やエネルギーのやりとり)に関する科学」として定義された。日本語の「生態学」は、1895年に三好学が初めて用いたと言われている。「人間が健康であるためには、生態系が健全でなくてはならない」という考え方において、E・S・リチャーズ(Ellen Swallow Richards)に始まり、A・レオポルド(Aldo Leopold)、R・カーソン(Rachel Carson)等の活躍によって「健康で幸福な生活と環境の学際的科学」として広まった人間生態学(human ecology)とその系譜に位置づけることもできる。生態系にみられる食物網や生物間の相互作用から、すべては関連し相互依存していると結論づける全体論的(holistic)な考え方は、エコロジーを自然科学から環境倫理思想あるいは環境保護運動へと拡がりうる概念であると捉える要因になった。エコロジー観が一般化した背景には、急激かつ過度の人間活動の拡がりによって引き起こされた生態系の危機(化学物質汚染、地球温暖化、森林破壊・砂漠化、種の絶滅、その他の地球規模での環境問題)がある。
レオポルドは、「土地倫理(land ethic)」という考え方を提起して、「土地は所有物ではない」と主張した。ここでいう「土地」とは、生態系のことであり、「物事は、生物共同体の全体性、安定性、美観を保つものであれば妥当だし、そうでない場合は間違っているのだ」としている(レオポルド 349)。一方、A・シュヴァイツァー(Albert Schweitzer)から思想的な影響を受けていたカーソンは、人間も自然の織りなす網の目(食物網)の一部を形成する存在にすぎないと考えた。彼女の『沈黙の春(Silent Spring)』(1962)には、人間による「自然の支配」観念の批判という文明史的・文明論的な視点がはっきりと表れているが、これも人間とあらゆる生命との関係が重要であると説いたシュヴァイツァーの思想の影響を示すものである。
続く1970年代のはじめに登場する「ディープ・エコロジー(deep ecology)」は、1973年にA・ネス(Arne Naess)によって提起された概念であり、自然と人間の関係の根本的変化の必要性を主張する。従来のエコロジーを先進国の人間の福利しか視野にない「浅いエコロジー(shallow ecology)」であると批判し、人間は「生態系全体(生命圏)のなかの結び目にすぎず、その一つとして自己を成熟させてゆくこと」、「すべての生命体は、おのおの自己実現するための平等の権利をもっていること」など、自己実現と生命圏の平等主義を目指すエコロジー思想である。他に仏教思想を取り入れ野性の実践を説くG・スナイダー(Gary Snyder)の生態地域主義(bioregionalism)、サイバネティクスを組み込んだG・ベイトソン(Gregory Bateson)の精神のエコロジー、それを発展させたF・ガタリ(Félix Guattari)の三つのエコロジー、「社会」的な側面を説くM・ブクチン(Murray Bookchin)のソーシャル・エコロジー(social ecology)、エコロジーとジェンダーの関わりを説くエコフェミニズム(ecofeminism)など多彩なエコロジーの分野がある。
一方、日本では、ディープ・エコロジー的視点から曼荼羅(密教の目的を成就する調和と共生の世界観)にすべての生物と共に生きる願いの「場」を説き、自らも実践(自然を自分自身に同一化)した弘法大師(空海)、朱子学から「人は小体の天にして、天は大体の人」として自然と人間は根本的に一体であることを説いた熊沢蕃山はじめ、自然の一部である万人すべてが自ら「直耕(農業生産)」することを理想とし、自然主義的な生活を営んだ安藤昌益や、人間も自然も同じ「一つのいのち」だとして、その世界観を「マンダラ」に表現し、自然保護運動の先駆けとなった南方熊楠らが知られる。
(多田満)
参考文献
・レイチェル・カーソン『沈黙の春』青樹簗一訳(新潮文庫、1974[原著:1962])
・ロバート・P・マッキントッシュ『生態学 概念と理論の歴史』大串隆之、井上弘、曽田貞滋訳(思索社、1989[原著:1985])
・アルド・レオポルド『野生のうたが聞こえる』新島義昭訳(講談社学術文庫、1997[原著:1949])
・Naess, Arne. “The Shallow and the Deep, Long-Range Ecology Movement. A Summary.” Inquiry 16 (1973): 95-99.
汚染の言説[Toxic Discourse]
汚染の言説(toxic discourse)とは、有毒物質や環境汚染に対する不安や恐れを表現したもの、あるいはその意味やそれが形成されるに至ったプロセスや仕組みを分析する概念を指す。1998年、L・ビュエル(Lawrence Buell)は『クリティカル・インクワイアリー(Critical Inquiry)』誌に「汚染の言説(Toxic Discourse)」と題した論文を発表し、これまで科学、医学、歴史学、社会学といった分野でしばしば論じられてきた「汚染された世界の不安」(639)を、文学や言語の領域から論じることの重要性を明らかにした。ビュエルは汚染の言説を「人間の手による科学操作によって引き起こされた環境危機の知覚的脅威から生じた不安を表現したもの」(Writing 30-31)と定義し、ウィルダネス保護を中心としてきた環境運動と人権を強調する社会運動を結びつける新たな言語体系として提唱している。汚染の言説には、有毒物質や環境汚染を描いた文学・映像作品、市民やコミュニティの汚染に対する懸念や恐怖を取り上げたメディア報道やポピュラーカルチャー、汚染訴訟の証言などが含まれる。
その具体的な機能には(1)不安から生じる社会的連帯、(2)企業による有毒物質の廃棄やそれを排出する施設の誘致に対する抑制力、(3)環境汚染や有毒物質に関する法律の強化、などが挙げられる。汚染の不安から生じる社会的連帯の実践例としてとりわけ重要なのは、アフリカ系、ヒスパニック系、先住民、低所得者層らの居住地域に有害廃棄物処分場が集中しているという事実に注目し、地域の環境保護と社会的公正を訴える環境正義(Environmental Justice)の運動である。有毒物質や汚染に対する市民の不安を原動力としてきた環境正義運動は、これまで「白人の中間層の運動」(岡島180)と呼ばれてきたアメリカ環境運動に、女性やマイノリティの参加や視点を取り入れることに成功した。このような動きは文学作品においてもみることができ、農薬汚染の問題を扱うチカーナ作家C・モラガ(Cherrie Moraga)の戯曲『英雄と聖者(Heroes and Saints)』(1994)や、遺伝子汚染問題に注目した日系アメリカ人作家R・L・オゼキ(Ruth L. Ozeki)の小説『オール・オーバー・クリエーション(All Over Creation)』(2003)といった作品は、汚染の不安を喚起し、「汚染されていない場所に住む」民衆の権利を訴えながら、社会的連帯を促進している。
一方で、汚染の言説の特徴の一つでもある曖昧性(あるいは不確実性)が議論の対象となることも少なくない。往々にして、汚染物質や有毒物質に関する既存のデータは不完全であり、病気と汚染の因果関係を証明することは困難であることから、たとえ強力な科学的根拠に基づいたものであったとしても、汚染の言説自体は「主張」あるいは「ほのめかし」でしかなく、汚染が存在することの「証明」にはならないとビュエルは指摘している(Writing 48)。このような特性は、汚染問題の法的処理の難しさにつながることもある。例えば、原爆症認定訴訟では、がんなどの原告の疾病が放射線被曝や放射性降下物による被曝に起因していることを証明できるかどうかが争点の一つとなっており、放射線の人体への影響は実証しにくいという理由から、被曝者や医師の証言が認められないこともある。
アメリカにおける汚染の言説はR・カーソン(Rachel Carson)の『沈黙の春(Silent Spring)』(1962)を嚆矢とする。DDTなど化学薬品の毒性の脅威やそれに対する不安を言語化した『沈黙の春』は、後のアメリカ環境保護運動、特に草の根レベルの市民運動や女性のネットワークの推進に大きく貢献した。また、『沈黙の春』の背景に核戦争の脅威が存在したように、環境破壊を描いた多くの文芸作品やポピュラーカルチャーの起動力となったのが冷戦時代の「核の不安(nuclear anxiety)」であった。ユタ州で暮らしてきた母、伯母、祖母たちのがんが、ネバダ州の核実験場からの放射性降下物に起因にしているかもしれないという問題を追求したT・T・ウィリアムス(Terry Tempest Williams)の『鳥と砂漠と湖と(Refuge: An Unnatural History of Family and Place)』(1991)は、核汚染への不安を描いた最も代表的なクリエイティブ・ノンフィクションであるといえるだろう。ウィリアムスは、汚染と病気の因果関係が証明不可能であるとしながらも、汚染の安全性を証明することもできないと主張し、汚染の言説の曖昧性や不確実性そのものが有効な修辞的戦略となりうることを示した。
汚染の言説として代表的な日本文学作品には、水俣病問題を描いた石牟礼道子の『苦海浄土』(1969)や長崎の原爆に向き合い続ける林京子の「祭りの場」(1975)や「長い時間をかけた人間の経験」(2000)といった小説がある。
参考文献
・石牟礼道子『苦海浄土?わが水俣病』(講談社文庫、1972年)
・エコクリティシズム研究会企画、伊藤詔子監修『オルタナティヴ・ヴォイスを聴く―エスニシティとジェンダーで読む現代英語環境文学103選』(音羽書房鶴見書店、2011年)
・岡島成行『アメリカの環境保護運動』(岩波新書、1990年)
・上岡克己、上遠恵子、原強編著『レイチェル・カーソン』(ミネルヴァ書房、2007年)
・林京子『林京子全集』全8巻(日本図書センター、2005年)
・テリー・テンペスト・ウィリアムス『鳥と砂漠と湖と』石井倫代訳(宝島社、1995年[原著:1991])
・レイチェル・カーソン『沈黙の春』青樹簗一訳(新潮社、1974年[原著:1962])
・Buell, Lawrence. “Toxic Discourse.” Critical Inquiry 24 (1998): 639-65.
---. Writing for an Endangered World: Literature, Culture, and Environment in the U.S. and Beyond. Cambridge: Belknap-Harvard UP, 2001.
Yuki, Masami. “Why Eat Toxic Food?: Mercury Poisoning, Minamata, and Literary Resistance to Risks of Food.” ISLE 19 (2012): 732-50.
2014年11月10日公開
環境詩学[ecopoetics]
「環境詩学(ecopoetics)」とは、イギリスの文芸批評家J・ベイト(Jonathan Bate)がThe Song of the Earth(2000)で提唱した研究アプローチ、または文学のありかたを指す。ベイトの定義によると、環境詩学は、「詩がいかなる点で<住みか>を<作ること>となりうるかを問う」ものである(Song 75)。ecopoeticsのecoは、ギリシャ語のoikos(家、住みか)に、poeticsは、ギリシャ語のpoiesis(作ること)に由来する。環境詩学は、詩以外の文学ジャンルも考察の対象とするが、ベイトは、特に詩的技巧がpoiesisにおいて重要な意味を持つと指摘する。例えば、「韻律は、自然独自のリズムへの応答であり、大地の歌の反響である」から、「詩を作るという意味でのpoiesisは、言語を通じてoikosへ帰還する最短の道」となりうるのだという(Song 76)。以下では、環境詩学の誕生過程、具体例、その後の展開について見ていく。
ベイトは『ロマン派のエコロジー』(1991)で、イギリス・ロマン派研究にエコロジーの観点を初めて本格的に取り入れ、W・ワーズワス(William Wordsworth)を中心とするロマン派の環境意識を明らかにしたことで知られる。以降、K・クローバー(Karl Kroeber)やJ・C・マキューシック(James C. McKusick)ら、ベイトの論に賛同する批評家たちの書を通して、ロマン派研究における環境批評の有効性は広く認められるようになった。またこれらの書には、例えば「自然詩人」ワーズワスの作品を読む行為が、文学研究の枠内にとどまるものではなく、我々の環境に対する姿勢を見直す上でも有意義であるという共通認識がうかがえる。
ベイトは続いてThe Song of the Earthを世に出すが、ここでは前作のように作品に環境意識を読み取るというよりはむしろ、作品を書く・読むといった文学的行為がいかにエコロジカルでありうるかという問題が探究されている。その際にキーワードとなるのが、環境詩学である。ベイトは、本書を「環境詩学の実験」、すなわち「詩作品を、我々がそこで毒されていない空気を吸うことができ、また疎外されていない、住まうという状態に調和できるような想像上の公園とみなすとき、何が起こるかを確かめる」ものとしている(Song 64)。このような詩作品の読み方や、「住まう(dwelling)」という本来的な存在様態は、M・ハイデガー(Martin Heidegger)の後期存在論哲学に基づいている。ハイデガーによると、住まうとは「存在物をその本質において保護するような自由な空間の中で、平和にとどまること」、存在物を搾取しない「大地を救う」ような在りかたである(Heidegger 147-48)。さらに、詩的言語は、事物の本質を開示することができるため、そのような詩的言語の性質を尊重している限り、我々は言語があらわす空間に住まうことができるという(Heidegger 209-27)。これらをふまえて、ベイトは、環境詩学を「住まうという経験の『提示』」と定義する(Song 42)。ちなみに、本書のタイトル(The Song of the Earth)も、ハイデガーの言葉から来ている。
環境詩学は、言語や事物を人間の道具や資源とみなさない、他の存在物への配慮を必然的に伴う在りかたを提示するものとして文学作品を捉える。そして作品を読む際には、「問いかけをするにしても、じっくりと考え、感謝し、作品の声に耳を傾けようとする」(Song 268)。したがって、それは環境問題の解決に直接つながるような政治的行為ではなく、意識改革に留まるものといえよう。環境詩学は、環境保護を訴える道具として言語を用いる「環境政策(ecopolitics)」とは異なるのだ。ベイトは次のように述べる。「詩人が、人類と環境、人と場所の関係について述べるときの手法は、記述的でなく経験的である点で、特異なものだ。生物学者や地理学者、環境運動家が、住まうことについて『語る』のに対し、詩はそれを『啓示する』ものといえよう。このような主張は、政治的である前に現象学的であるため、環境詩学は前政治的とみなすのが適切であろう」(Song 266)。だが『ロマン派のエコロジー』が、ワーズワスの作品に緑の政治学を読み取るものでもあったように、環境詩学と環境政策との境界は曖昧である。ベイト自身もそれを「緑の読解のディレンマ」(Song 266)と呼び、環境詩学の脆弱さを認めている。
そもそも、自然を語るとは、言語を通して自然を内面化する行為である。自然を、その本質を損なわずに提示することなどできるのだろうか。例えば、ワーズワスの「ティンターン僧院(“Lines written a few miles above Tintern Abbey”)」(1798)には、「さだかではないが(“some uncertain notice”)」や「この不可解な世界(“this unintelligible world”)」のように、否定辞を含む語を多用することで、安易な内面化を避けようとする姿勢が見られる(Song 151)。また、ワーズワスの作品に頻繁に描かれる交感体験、「自然との『沈黙の対話』」(Song 75)では、自然は静寂を表す言葉で形容されたり、沈黙した存在として描かれたりしている。自然の沈黙は、人間のみが声を持つという人間中心主義的発想としてとられがちだ。だがそれは、自然に何らかの意味を読み取ったり、象徴へ変換したりせず、ありのままにあらわすための手段ともなりうる。「場所の沈黙」を語ることは、環境詩学における最も困難な、しかし究極の目的なのである(Song 151)。
The Song of the Earthが扱う作家は多岐にわたるが、それでも『ロマン派のエコロジー』同様、イギリス・ロマン派が中心に据えられている。ベイトの次の言葉にあるように、ロマン主義と環境詩学は根底で結びついているからだ。「18世紀後半に始まったロマン主義の伝統に属する作家たちは、この(人間の自然からの)分離に特に関心を払っていたというのが本書の論旨である。ロマン主義は、ワーズワスが『抒情歌謡集(Lyrical Ballads)』序文で『自然の美しい永遠の姿』と呼ぶものに対する忠誠を宣言する。それらに親しむとき、我々は本来の力強さで生きるが、反対に科学技術や工業化によりそれらから疎外されると、我々の生命は弱まることを主張する。それは、詩的言語を、人間精神と自然の想像上の再結合をもたらしうる特別な表現とみなす[...]。私はこの広義のロマン主義を、『環境詩学』的なものとして記述し直してきた」(Song 245)。環境詩学とは、自然からの疎外を自覚しつつも、詩的言語を通して、作品が示す大地に根ざした存在様態に立ちかえろうとする思索的実践なのである。
本書と同年に出版された、マキューシックの『グリーンライティング』(2000)にも、背景は異なるが、同じ「環境詩学」という語が登場する。これは、英米ロマン派の環境意識やエコロジカルな言語表現を再評価した書で、M・オースティン(Mary Austin)について、自らが根ざした土地の本質を表現する環境詩学を追求していると論じている。ベイトの環境詩学の流れをくんだものとしては、K・リグビー(Kate Rigby)のTopographies of the Sacred(2004)や、S・ニッカーボッカー(Scott Knickerbocker)のEcopoetics(2012)が挙げられよう。前者は、英独ロマン派に「否定性の環境詩学(ecopoetics of negativity)」を読みとる。詩的言語が自然をありのままにあらわすことができるという可能性よりも、その限界を認識することこそが、我々を言語化以前の場へ、すなわち原初の存在様態へと立ちかえらせてくれるのではないかという指摘だ。それに対して後者は、ベイトの論に同調するかたちで、現代アメリカ詩人をとりあげながら、自然体験を語る際に用いられる比喩的言語や修辞的技巧のなかで、特に読み手の感覚に直接訴えかけ、作品の世界に参与させるようなものを、「感覚的詩学(sensuous poesis)」として再評価している。
(佐々木郁子)
参考文献
・ジョナサン・ベイト『ロマン派のエコロジー―ワーズワスと環境保護の伝統』小田友弥、石幡直樹訳(松柏社、2000[原著:1991])
・ジェイムズ・C・マキューシック『グリーンライティング―ロマン主義とエコロジー』川津雅江、小口一郎、直原典子訳(音羽書房鶴見書店、2009[原著:2000])
・Bate, Jonathan. The Song of the Earth. Cambridge: Harvard UP, 2000.
・Heidegger, Martin. Poetry, Language, Thought. Trans. Albert Hofstadter. New York: Harper, 1971.
・Knickerbocker, Scott. Ecopoetics: The Language of Nature, the Nature of Language. Amherst and Boston: U of Massachusetts P, 2012.
・Kroeber, Karl. Ecological Literary Criticism: Romantic Imagining and the Biology of Mind. New York: Columbia UP, 1994.
・Rigby, Kate. Topographies of the Sacred: The Poetics of Place in European Romanticism. Charlottesville and London: U of Virginia P, 2004.
2013年8月5日公開
環境正義(環境的正義・環境公正・環境的公正)[Environmental Justice]
【理論・概念編】
「環境保護・保全」と「社会正義・公正」とを統合し、環境問題における正義の実現を目指す概念。この概念が登場する前、つまり1970年代以前は環境問題が正義の観点から捉えられることはほとんどなかった。しかし1960年代のアメリカの公民権運動を経た1980年代、それまでは白人・中産階級・男性の観点からのみ論じられがちだった環境問題を少数者の観点から捉え直そうという動きが生まれ、そのような文脈下でこの用語は誕生した。
「環境正義」が主題化された具体的な事例として、1980年代のアメリカで、貧困層のアフリカ系アメリカ人(黒人)やアメリカ先住民(インディアン)が多い地域に有害廃棄物処理施設が集中していたことが挙げられる。一例は1982年のノースカロライナ州ウォーレン郡におけるPCB(ポリ塩化ビフェニル)廃棄物埋め立て施設に対する反対運動で、この地域にはアフリカ系アメリカ人が多く住んでいた。したがってこの用語の誕生時、「正義」は主に「人種的正義」を意味していた。換言すれば、人種的マジョリティ・社会的強者は良好な環境で生活できるが、人種的マイノリティ・社会的弱者は環境破壊の影響を受けやすい、という事実(=環境的人種差別[environmental racism])に対する正義である。
また地政学的な環境正義の問題も指摘されてきた。環境負荷が都市から地方へ、先進国から開発途上国へ、という流れで分配されおり、都市の廃棄物が地方で処理されたり、先進国の企業が規制の甘い開発途上国へ工場を移転したりするという事例がある。また、環境負荷が現世代から将来世代へ分配される、という世代間の不正義も環境正義の射程にある。さらには、そのような「分配的正義」のみならず、意思決定過程への平等な参加を指す「手続き的正義」も環境正義を考える上で見逃せない。
1980年代の環境正義をめぐる動きを受け、1991 年10 月24~27日にワシントンD.C.で「第1回全米有色人種環境リーダーシップサミット」が開催された。同サミットの結果、採択されたのが下記の「環境正義の原則」である(出典:http://www.ejnet.org/ej/principles.html[邦訳は筆者])。
1. 環境正義は、母なる地球の聖性、あらゆる種の環境的調和と相互依存性、および環境破壊を受けない権利、を認める。
2. 環境正義は、公共政策がいかなる形態の差別や偏見も含まず、全人類の相互の尊重と正義に基づくことを求める。
3. 環境正義は、地球が人間およびその他の生物にとって持続可能であるために、土地と再生可能な資源の倫理的で公正な、責任ある使用を求める。
4. 環境正義は、きれいな空気・土地・水・食料を享受する基本的な権利を脅かす核実験および毒性/有害廃棄物や毒物の取出・生産・投棄からの普遍的保護を求める。
5. 環境正義は、政治的・経済的・文化的・環境的自己決定権が全人類の基本的権利であることを認める。
6. 環境正義は、あらゆる毒物、有害廃棄物、および放射性物質の生産を停止すること、また過去と現在の生産者全員が生産時点で解毒・格納の厳しい責任を人類に対して負うことを求める。
7. 環境正義は、ニーズの評価、計画、実行、執行、評価といった意思決定のすべての段階に対等なパートナーとして参加する権利を求める。
8. 環境正義は、全労働者が危険な生活か失業かの選択を強制されることなく、安全で健康な労働環境を享受する権利を認める。また環境正義は、在宅勤務の労働者が環境被害を受けない権利も認める。
9. 環境正義は、環境不正義の被害者が被害に対する完全な補償と賠償、ならびに良質な医療を受ける権利を保護する。
10. 環境正義は、政府による環境正義に反する行為は、国際法、世界人権宣言、および国際連合ジェノサイド条約の違反であるとみなす。
11. 環境正義は、主権と自己決定を認める条約・契約・協定・規約を通じて先住民族が合衆国政府に対して有する特別な法的かつ自然な関係性を認める義務を負う。
12. 環境正義は、都市・地方の空間を整備・再開発する都市・地方の環境政策には自然との調和が必要であることを認め、あらゆるコミュニティの文化的統合性を尊重し、あらゆる資源への平等なアクセスを全人類に提供する。
13. 環境正義は、インフォームド・コンセントの原則を厳密に実行し、有色人種に対する実験的な生殖・医学的処置や予防接種の試験の中止を求める。
14. 環境正義は、多国籍企業による破壊的操業に反対する。
15. 環境正義は、土地や人類・文化、その他の生命体の軍事的占領・抑圧・搾取に反対する。
16. 環境正義は、我々の経験、ならびに我々の多様な文化的視点の完全なる理解に基づいた社会・環境問題を重視する教育が現在そして将来世代に提供されることを求める。
17. 環境正義は、我々一人ひとりが母なる地球の資源を可能な限り消費せず、また廃棄物を可能な限り生産しないように個人または消費者として選択することを求める。また、現在そして将来世代のために自然界の健康を確保できるような生活様式に取り組み、それを再優先するような意識的な決定をすることを求める。
冒頭で述べた通り、「環境正義」という概念は主に環境的人種差別を解消するために誕生したが、現在は外延が拡大し、国籍、年齢(子ども・高齢者)、ジェンダー、セクシュアリティといった変数を包含するようになっている。
この概念の問題点としては、「正義」という言葉に内包される強制性、また誰にとっての「正義」なのかというポジショナリティに関するものなどが挙げられる。加えて、環境破壊の被害者として弱者の立場を強調し過ぎるあまりに差別/被差別という単純な二項対立におちいってしまっている、という陥穽を指摘する声もある。さらには、被害者内部でもイデオロギー、階級、ジェンダーといった差異に基づく対立があり、環境正義運動を弱体化させる要素となっている。
【実践・応用編】
アメリカではジョージ・H・W・ブッシュ大統領時代の1992年6月、環境保護庁(EPA)が報告書「環境的平等:あらゆるコミュニティに対するリスクの逓減」を発表し、同年11月にはEPAに環境平等室(のちに環境正義室と改称)が開設され、EPAが確実に環境的平等を進めるように道筋がつけられた。その後、ビル・クリントン大統領は1994年2月、「大統領命令12898号―環境正義」を発表し、連邦政府諸機関は人種的マイノリティや低所得者層に環境リスクの負荷が不平等な形で分配されないように環境正義に配慮することとなった。実際、原子力規制委員会はこの大統領令と国家環境政策法に基づき、ルイジアナ州でアフリカ系アメリカ人が多数を占める複数のコミュニティに建設が予定されていたウラン濃縮工場の設立許可証の交付を却下している。またアメリカ各州・市や他国(ベトナム等)では環境正義に基づく執行機関として環境警察が導入された例もある。
エコクリティシズムと環境正義との関係を主題化した参考文献としては、外国語文献ではJ・アダムソン(Joni Adamson)らによるThe Environmental Justice Reader(2002)が挙げられる。日本語文献では松永京子が北米先住民族文学や井伏鱒二の『黒い雨』を環境正義の観点から分析した例が挙げられる。後者について松永は、原子爆弾投下によって広島に降った放射能に汚染された黒い雨が、生物学的に女性に不平等な形で影響を及ぼしたことを明らかにしている。またS・スロビック(Scot Slovic)らによる『エコトピアと環境正義の文学―広島からユッカマウンテンへ―』(2008)の第Ⅱ部「環境正義と新しい西部の風景」には、米文学を環境正義の観点から読み解いた論文5点が収められている。また同書巻末の「基本文献解題」も参考になる。
(森田系太郎)
参考文献
・スコット・スロヴィック、伊藤詔子、吉田美津、横田由理編著『エコトピアと環境正義の文学―日米より展望する広島からユッカマウンテンへ―』(晃洋書房、2008)【環境正義、環境文学】
・戸田清『環境正義と平和 アメリカ問題を考える』(法律文化社、2009)【環境正義、環境運動】
・戸田清『環境的公正を求めて―環境破壊の構造とエリート主義』(新曜社、1994)【環境正義全般】
・マレイ・ブクチン『エコロジーと社会』藤堂麻理子、戸田清、萩原なつ子訳(白水社、1996)【環境正義、階級】
・松永京子「黒い雨は平等にふりかかるか?―環境正義で読む北米先住民文学と日本原爆文学」『文学と環境』第10 号(2007):5-13.【環境正義、環境文学、ジェンダー】
・Adamson, Joni, Mei Mei Evans, and Rachel Stein, eds. The Environmental Justice Reader: Politics, Poetics, and Pedagogy. Tucson, AZ: U of Arizona P, 2002.【環境正義、エコクリティシズム、地域研究、ジェンダー】
・Merchant, Carolyn. Radical Ecology: The Search for a Livable World. 2nd ed. New York: Routledge, 2005.【環境正義、ジェンダー】
・Morita, Keitaro. “A Queer Ecofeminist Reading of ‘Matsuri [Festival]’ by Hiromi Ito.” East Asian Ecocriticisms: A Critical Reader. Ed. Simon Estok and Won-Chung Kim. New York: Macmillan, 2013. 57-71.【環境正義、エコクリティシズム、ジェンダー、セクシュアリティ・クィア】
・Stein, Rachel, ed. New Perspectives on Environmental Justice: Gender, Sexuality, and Activism. New Brunswick, NJ: Rutgers UP, 2004.【環境正義、環境運動、ジェンダー、セクシュアリティ・クィア】
・United States Environmental Protection Agency. Home Page. 02 Jan. 2015 <http://www.epa.gov/>【アメリカ政府が進める環境正義】
2014年11月10日公開、2015年1月21日更新
クィア・エコロジー/クィア・エコフェミニズム[Queer Ecology / Queer Ecofeminism]
「クィア」とは、ゲイ、レズビアン、性転換者、異性装者といった性的少数者を包括する用語である。その「クィア」を「エコロジー」の冠として付した「クィア・エコロジー」、この語源を辿ると、カナダのヨーク大学が発行する学術誌UnderCurrentsによる1994年の特集“queer nature”に遡る。その号に、レズビアンを公表している詩人C・ケリー(Caffyn Kelly)が“Queer/Nature (Be Like Water)”という小論文を寄稿している。ケリーは同論文でクィア・エコロジーについて次のように述べる。
[...]自然は私たちが思う以上にはるかにクィアなものであることに気がつきました。鳥たちは、鳥類図鑑にあるような雌雄の番いではやって来ません。鳥たちは一羽で、群れを成して、三羽で、七羽でやって来ます。雌同士、雄同士、そして雌雄同士で番いになるのです。フジツボは雌雄同体です。ナメクジは驚くべき柔軟性をもっており、雄に生まれ、他の雄たちと性行為をし、その後、雌に変態し、相手の雄の精液をもって子を宿します。
私は、自然の中心には異性愛という不可避の事実がある、と教える文化で育ちました。でもその事実は間違っていました。それは他の類似の神話以上の何ものでもなかったのです。(43)
1990年代以降、レズビアン・ゲイスタディーズやクィア理論の展開と足並みをそろえるように、これまで中立的だとみなされてきた「エコロジー」という思想・学問・概念にもセクシュアリティの視点が導入された。その結果として誕生したのがクィア・エコロジーであった。
その動きと並行して、エコロジーにジェンダーの視点を入れたエコフェミニズムの異性愛主義(heterosexism)・異性愛規範性(heteronormativity)も指摘されるようになり、エコフェミニズムにもセクシュアリティの視点が導入された結果、クィア・エコフェミニズムが誕生した。一言でまとめれば、クィア・エコフェミニズムは自然・女性・クィアという三者に声を与えて同時解放を目指す理論・運動である。クィア理論家のE・K・セジウィック(Eve Kosofsky Sedgwick)は、その著書『クローゼットの認識論―セクシュアリティの20世紀』(1990年)の中で、社会は「ホモソーシャリティ(男性社会)」「女性差別」「異性愛主義」の三位一体が土台となって構築されている、と喝破したが、これに基づけば、クィア・エコフェミニズムはそこに「自然の抑圧」を追加し、自然という変数を加えた、とも言える。
クィア・エコフェミニズムに先鞭をつけた記念碑的論文が、1997年に発表されたクィア・エコフェミニストのG・ガード(Greta Gaard)による“Toward a Queer Ecofeminism”である。ガードは従来のエコフェミニズムにはセクシュアリティという視点が欠けていたと述べ、エコフェミニズムにクィアの視点を導入することで自然・女性・クィアの三者を結び付ける。そしてエコフェミニストのV・プラムウッド(Val Plumwood)が著したFeminism and the Mastery of Nature(1993年)の二項対立に係る議論を土台にしつつ、ガードは男/女、人間/自然、異性愛者/クィアといった二項対立の解体の必要性を説く(この点ではMorton[2010]も参照)。なぜなら、これらの二項対立があるがゆえに二項対立の右側の項は歴史的に抑圧されてきたからである。その後、ガード論文に刺激される形で、レズビアンの視点が欠けているという不可視性の観点からガードを批判したW・L・リーとL・M・ダウ(Wendy L. Lee and Laura M. Dow)など、クィア・エコフェミニズム理論をさらに展開させていくような論者が少なからず登場している。
ガード論文が再録されている、環境正義とジェンダー・セクシュアリティの接点を主題化したR・スタイン(Rachel Stein)編纂のアンソロジーNew Perspectives on Environmental Justice: Gender, Sexuality, and Activism(2004年)はクィア・エコロジー、クィア・エコフェミニズムのひとつの到達点と言える。またより最近ではクィア・エコロジストでありクィア・エコフェミニストであるC・モーティマー=サンディランズとB・エリクソン(Catriona Mortimer-Sandilands and Bruce Erickson)が編纂したQueer Ecologies: Sex, Nature, Politics, Desire(2010年)が本分野の必読文献として挙げられる。環境研究とクィア研究の交差する領域に理論・政治・文化的に踏み込む書物である。特に編者の2人による“Introduction: A Genealogy of Queer Ecologies”は一読されたい。
単著論文では、クィア・エコロジーについてはモーティマー・サンディランズによる“Unnatural Passions?: Notes toward a Queer Ecology”(2005年)が挙げられる。同論文は、人間は自然に対して抑圧的な関係性を構築するが、その抑圧的関係性は異性愛主義的であると指摘する。また地理学者のM・ガンディ(Matthew Gandy)は、北ロンドンにあるアブニー・パーク墓地を事例にクィア・エコロジーを論じる。ガンディは同墓地(≒自然)での同性愛行為は社会規範(≒異性愛規範)からの逃走手段である、と分析する。
一方、自然とクィアの両方を扱った環境文学作品としては、既出のケリーによる詩“Space”と“Water”(共に2005年)が挙げられる。またクィア・エコロジー、クィア・エコフェミニズムの観点からエコクリティシズムを試みた論文としてはK・ホーガン(Katie Hogan)の“Detecting Toxic Environments: Gay Mystery as Environmental Justice”(2004年)がある。同論文はJ・ハンセン(Joseph Hansen)作『真夜中のトラッカー(Nightwork: A Dave Brandstetter Mystery)』(1984年、邦訳は1987年)を環境批評にかけ、主人公であるゲイの探偵が有害な廃棄のみならず、有害な異性愛を暴き出すという意味で環境正義理論にクィアな視点を持ち込んでいると看破する。また執筆者(森田)による“Queer Ecopoet?: An Analysis of ‘Chito [Tito]’ by Japanese Poet Hiromi Ito”(2010年)および“A Queer Ecofeminist Reading of ‘Matsuri [Festival]’ by Hiromi Ito”(2013年)も挙げられる。両論文ともにエコポエト(環境詩人)である伊藤比呂美の散文詩を自然・ジェンダー・セクシュアリティの観点から分析しており、後者については自然・女性・クィアが解放されるためには三者ともに解放される必要性があること、そして伊藤の詩は三者が解放された先の世界を描き出ししていることが論じられている。
最後にクィア・エコロジーおよびクィア・エコフェミニズムの展望について。2010年、『水声通信』は同誌二度目となるエコクリティシズムの特集を組んだ。その中で、喜納育江は「進化するエコ/フェミニズムとクィアエコフェミニズムの可能性」と題する論文を寄稿している。この小論は日本語による数少ないクィア・エコフェミニズムの文献となっている(他には例えば森田[2009])。クィア・エコロジーおよびクィア・エコフェミニズムはともにエコロジーにおけるクィアな/の視点を強調しており、したがって両者は一蓮托生と言える。よって喜納によるクィア・エコフェミニズムの展望に関する以下の記述を再掲することで、クィア・エコロジーおよびクィア・エコフェミニズムに関する本項目を締めたい。
クィアエコフェミニズムという思想は[...]人間という生物種の営みから派生する抑圧の構造によって危機にさらされた多くの生命を救済する思想となり得るのではないだろうか。暴力と争いに満ちた人間の歴史が人間の性による「自然な」成行きだったとするならば、同性愛の「不自然さ」の行く手にある未来のほうが、生命体にとってはまだ健全な姿をしている(152)
※執筆者は「クィア・エコロジー」「クィア・エコフェミニズム」という用語はまだ人口に膾炙していないと考える。ゆえに「クィア」と「エコロジー」、「クィア」と「エコフェミニズム」の間に「・」(中黒)を入れているが、「クィアエコロジー」「クィアエコフェミニズム」と一単語として扱う論者もいる。本項目もその事実を意識して執筆されている。
(森田系太郎)
参考文献
・喜納育江「進化するエコ/フェミニズムとクイアエコフェミニズムの可能性」『水声通信』第6号第1巻(水声社、2010)149-52.
・E・K・セジウィック『クローゼットの認識論―セクシュアリティの20世紀』外岡尚美訳(青土社、1994[原著:1990])
・森田系太郎「訳者解題」『論叢クィア』第2号(クィア学会、2009)138-40.
・Gaard, Greta. “Toward a Queer Ecofeminism.” Hypatia 12.1 (1997): 114-37.
・Gandy, Matthew. “Queer Ecology: Nature, Sexuality, and Heterotopic Alliances.” Environment and Planning D: Society and Space 30 (2012): 727-47.
・Hogan, Katie. “Detecting Toxic Environments: Gay Mystery as Environmental Justice” Stein. 249-61.
・Kelly, Caffyn. “Queer/Nature (Be Like Water).” UnderCurrents 6 (1994): 43-44.
・---. “Space.” 2005. QueerMap.com. 13 Jul. 2013 <http://www.queermap.com/orientation/Space-Intro.htm>(ケフィン・ケリー「空間」森田系太郎訳『論叢クィア』第2号[クィア学会、2009]137.)
・---. “Water.” 2005. QueerMap.com. 13 Jul. 2013 <http://www.queermap.com/orientation/Water-intro.htm>(ケフィン・ケリー「水」森田系太郎訳『論叢クィア』第2号[クィア学会、2009]136.)
・Lee, Wendy L., and Laura M. Dow. “Queering Ecological Feminism: Erotophobia, Commodification, Art, and Lesbian Identity.” Ethics & the Environment 6.2 (2001): 1-21.
・Morita, Keitaro. “A Queer Ecofeminist Reading of ‘Matsuri [Festival]’ by Hiromi Ito.” Eds. Simon Estok and Won-Chung Kim. East Asian Ecocriticisms: A Critical Reader. New York: Macmillan, 2013. 57-71 .
・---. “Queer Ecopoet?: An Analysis of ‘Chito [Tito]’ by Japanese poet Hiromi Ito.” The Paulinian Compass 1.4 (2010): 101-20.
・Mortimer-Sandilands, Catriona. “Unnatural Passions?: Notes toward a Queer Ecology.” Invisible Culture 9 (2005) 1 Aug. 2013 < http://www.rochester.edu/in_visible_culture/Issue_9/sandilands.html>
・Mortimer-Sandilands, Catriona, and Bruce Erickson, eds. Queer Ecologies: Sex, Nature, Politics, Desire. Bloomington: Indiana UP, 2010.
・Morton, Timothy. “Guest Column: Queer Ecology.” PMLA 125 (2010): 273-82.
・Plumwood, Val. Feminism and the Mastery of Nature. London: Routledge, 1993.
・Stein, Rachel, ed. New Perspectives on Environmental Justice: Gender, Sexuality, and Activism. New Brunswick: Rutgers UP, 2004.
(2015年1月21日公開)
生態(生命)地域主義[bioregionalism]
文学研究の分野では主に「生態地域主義」が使用される。また厳密に訳語を当てずに「バイオリージョナリズム」と訳される場合もある。自分たちが居住し生活を営む場である地域において、自然と人間との昔からある相互のかかわりを再度見つめなおすことで、その土地の特性や自然の持続性を損なわないような生活様式を構築していこうという試み。地域の生態系に適応する地域社会を目指す地域共同体ベースの運動である。1970年代前半にアメリカのエコロジスト、P・バーグ(Peter Berg)によって提唱された。
「生態地域(bioregion)」とは自治体や町村などの行政上の区割りではなく、地理的・生態系的にみた地域の特徴から決まり、古くからその土地に固有の文化が育まれてきた地域である。多くの生命地域は河川とその支流が流れ込む流域を中心とすることが多い。隣接する地域とは異なる、その地域に特有の植物相や動物相をもつ地理的空間であり、自然の様相によって左右されるために柔軟性と可変性を持っている。
生態地域主義は次のような特徴を持つ。①地域の自然生態系の機能の回復と維持、②地域内でゼロエミッションの循環型システムの構築、③持続可能な地域生態系資源を活用し高付加価値化した地域と調和した産業や技術の創出、④地域情報の発信を通じて他地域や世界とのコミュニケーションを図ることによるネットワーク社会の構築(赤池 22-23)。
その地域に存在する自然資源に着目し、そこに文化や技術、人材などの人的資源を組み合わせることで地域内の循環型システムを作り、それを持続可能なものにしていく。またそこでの経済は自然を搾取するのではなく維持するものになる。したがって生態地域主義の経済は自然の資源の利用を必要最小限にし、汚染と廃棄物の排出を極力抑え、その地域でエネルギーを循環利用できるゼロエミッションのシステムを作り上げる。地域で生産されたものを地域で消費するという意味では自給自足と似た考え方ではあるが、自給自足的な閉塞した社会ではなく、地域の自然資源に加えて人的資源も活用し、地域独自の産業や教育をデザインすることで環境を守りながらも経済的に自立した地域を目指そうという試みも含まれる。
また自分たちの住んでいる場所に根付き、土地とのかかわり合いを常に意識しながら住むという意味で「再定住(reinhabitation)」の重要性が強調される。そのためには地域が持つ自然環境や、人間の生活とその自然環境とのかかわりを自覚し、自分の住む地域の特徴についてよく学ぶことで、歴史の中で切断されてきた人と自然、人と人とのかかわりを再びつなぎ合わせることが必要である。
北米ではバーグが主催するプラネット・ドラム協会(Planet Drum Foundation)がこの取り組みの中心的役割を果たしてきた。同協会が実践するグリーンシティ・プログラムは、生命地域主義の考え方を都市に応用し、自立性と持続性を高めた「緑の都市」へと発展させることにおいて大きな成果をあげている。またアメリカの詩人G・スナイダー(Gary Snyder)は自らを「生態地域主義者(bioregionalist)」と称し(スナイダー 175)、地域の歴史や祖先の知恵に敬意を払いながら長期にわたる持続可能性を考えていくために「場所の感覚(sense of place)」を提起している。
(庭野義英)
参考文献
・赤池学「『生命地域主義』によるコミュニティ・マインドの復権」『社会教育』第53巻11号(1998): 22-27.
・ゲーリー・スナイダー「場所の詩学」山里勝己訳 生田省悟、村上清敏、結城正美編『「場所」の詩学―環境文学とは何か』(藤原書店、2008)160-177.
・プーラン・デサイ、スー・リドルストーン『バイオリージョナリズムの挑戦 この星に生き続けるために』塚田幸三、宮田春夫訳(群青社、2004[原著:2003])
・福永真弓「生命地域主義の思想に見る可能性とその難点―北アメリカにおける持続可能な地域社会の探究―」『国際関係学研究』第28号(2002): 23-39.
・文学環境学会編『たのしく読めるネイチャーライティング』(ミネルヴァ書房、2000)
・Berg, Peter. Reinhabiting a Separate Country: A Bioregional Anthology of Northern California. San Francisco: Planet Drum Foundation, 1978.
ソーシャル・エコロジー[social ecology]
環境問題は人間の自然に対する支配の結果であり、その本質を人間社会に存在する支配の関係に由来すると考える社会思想。アナーキズム的エコロジストのM・ブクチン(Murray Bookchin)によって提唱された。ブクチンは、人間による人間の支配が存在する限り、人間が自然を支配するという企図も存在し続け、地球環境の破壊は不可避であると指摘し、社会・政治・経済的不平等や中央集権的な権力構造を環境問題の社会的原因であるとして批判した。
ブクチンはソーシャル・エコロジーの考え方を次のように述べる。「自然支配という概念は、人間による人間の支配、ありていにいえば、ある経済階級による他の経済階級の支配や、植民地権力による植民地住民の支配だけでなく、男性による女性の支配、年長者による若年者の支配、ある民族による他の民族集団の支配、国家による社会の支配、官僚制による個人の支配から生まれてきた」(ブクチン[1999] 54-55)。それゆえにソーシャル・エコロジーは、支配やヒエラルキーのない社会の構築を目指し、地方分権化され自立した経済システムを持つ地域社会を建設することで自然と人間との共生が可能になると考える。
こうしたブクチンの考え方によれば、人間が自然に従うべきだとする「ディープ・エコロジー(deep ecology)」は批判の対象である。自然との一体性を強調することは人間が自然に従うことを意味するのであり、自然と人間の支配と従属という主客の関係を逆転させただけにすぎない。ソーシャル・エコロジーは、人間と自然との関係を見つめなおすことで、自然を通して人間の行為そのものを改革することを要求する。また自然を「第一の自然」とし、これに対して人間社会を「第二の自然」と位置づける。生物の世界は相互扶助的に複雑な形態へと向かって共進化するのであり、人間もまたそのような進化の過程に含まれる。したがって「第二の自然」は「第一の自然」にみられる自然進化という概念を人間の領域へと拡張したものとして捉えられるべきである。しかしそれと同時に人間は自らの環境を選択し、変革することができ、道徳的な問題を提起することのできる生物であるという点で他の生命との差異を持つ。人間と自然とが連続性を持ちながら、人間は他の動物との差異を同時に併せ持つ。この両立によって自然と人間との二項対立的な構図は克服される。このようにもともと「第一の自然」にある多様性と共生の原理をもってブクチンはヒエラルキーを克服し、人間と自然との共生が可能なエコロジカルな社会変革を目指す。
アナーキズムの伝統を引き継いだブクチンらのソーシャル・エコロジー(狭義)と、資本主義体制下で人間が自然に対する支配を進めてきたことを批判する立場である「ソーシャリスト・エコロジー(socialist ecology)」があるが(例:B・コモナー[Barry Commoner])、この二つを合わせてソーシャル・エコロジー(広義)とする立場もある。またマルクスの思想からエコロジー問題にアプローチするD・ペッパー(David Pepper)の「エコ・ソーシャリズム(eco-socialism)」はエコロジーと社会主義とを結合させた言葉である。
(庭野義英)
参考文献
・戸田清「社会派エコロジーの思想」小原秀雄監修『環境思想の系譜2 環境思想と社会』(東海大学出版会、1995)162-86.
・マレイ・ブクチン『エコロジーと社会』藤堂真理子、戸田清、萩原なつ子訳(白水社、1996)
・マレイ・ブクチン「ソーシャル・エコロジーとは何か」小原秀雄監修『環境思想の系譜2 環境思想と社会』(東海大学出版会、1995)194-217.[原著:1987]
・デイヴィッド・ペッパー『生態社会主義:エコロジーの社会』小倉武一訳(農山漁村文化協会、1996[原著:1993])
・キャロリン・マーチャント『ラディカルエコロジー―住みよい世界を求めて―』川本隆史、須藤自由児、水谷広訳(産業図書、1994)
・マレイ・ブクチン「エコロジー運動への公開質問状」A・ドブソン編著『原典で読み解く環境思想入門―グリーン・リーダー―』松尾眞、金克美、中尾ハジメ訳(ミネルヴァ書房、1999)54-59.[原著:1991]
ディープ・エコロジー/シャロー・エコロジー[deep ecology / shallow ecology]
「ディープ・エコロジー」とは、ノルウェーの哲学者A・ネス(Arne Naess)により提唱された環境思想の一つである。あくまで人間に役立つものとして自然を保全しようとする「シャロー・エコロジー」を乗り越え、人間の意識そして社会におけるエコロジカルな変革を促すことが目標とされている。自然界におけるあらゆる存在は全て相互依存の関係にあり、等しい内在的価値を保持しているという主張、そして人間が他の存在者の生存を侵害することに対する批判をその特徴とする。
ネスが初めてディープ・エコロジーの定義づけを行ったのは、1973年の「シャロー・エコロジー運動と長期的視野を持つディープ・エコロジー運動」と題された論文においてである。そこでは当時主流であった、環境汚染や天然資源の枯渇に対する懸念に動機づけられた環境運動は、結局は人間社会(特に先進諸国)に価値をおいたものであり、よって「浅い(shallow)」ものとして批判される。一方でネスが唱える環境思想は、自然界に存在する全てのものに対する見方を根本的に問い直し、その作業を通じて必ずしも人間の利益に供するものではない新たな価値観を構築することを求めており、その点において「深い(deep)」ものと考えられている。
ディープ・エコロジーの主張としてはじめに挙げられるのが、生態系におけるあらゆる存在が持つ固有の内在的価値である。シャロー・エコロジー的な観点においては、人間にとって有意義かどうかが存在の価値を決める基準とされているが、ディープ・エコロジーは生態系の構成員全てが「生き栄えるという等しく与えられた権利」を持つとする(ネス[2001] 33)。ゆえにそれらの存在者は平等に扱われるべきであり、不当にその生存を侵されてはならない。こうした概念をネスは「生態圏平等主義(biospherical egalitarianism)」と呼ぶ。これは従来の人間中心主義的な環境思想を自然中心主義的なものへと転換することを促すものである。ただネスはあらゆる殺生を禁じているわけではなく、「生き物は自らの生命維持のため、いくらかの殺害、搾取、抑圧を必要とする」(ネス[2001] 32)と述べている。
さらにネスがディープ・エコロジーにおける重要な概念として提示するものとしては、生態系に関する「全体論的な(holistic)」見方がある。それによると、ある環境にそれぞれの存在が関わりを持つことなく独立して存在しているという「原子論的モデル」は、生態系のあり方を正確に示しているとはいえない。むしろそれらは網の目状に相互に関係しており、ゆえに「個々の生命はその関係の網の結び目にあたる」という考えこそが、ディープ・エコロジーの志向する世界観である(ネス[2001] 32)。この見方によれば、生態圏はそこに存在する有機的生物だけでなく、それらを取り巻く無機物の環境も含めた全体によって構成されているものとなる。よってその場から離れた存在者は、その性質そのものを変化させてしまうのであり、常に恒常的な状態にはあるわけではないと言える。
1989年にネスはそれまでの自身の論考をまとめた『ディープ・エコロジーとは何か』を出版した。そこで中心に論じられているのが、ディープ・エコロジーにおける第三の主要な要素である「自己実現(Self-realization)」論である。ネスにとって自己は単独で存在するものでなく、常に生態系における他との相互依存の関係にある。それゆえに必然的に自己の範囲は「ますます多くのものを含む」ように拡大し、他のものとの「一体化(identification)の過程」を経て、最後には個々の「自己(self)」が全体的な「自己(Self)」へと成長するとネスは述べる(ネス[1997] 92)。よって人間の繁栄、すなわち自己実現は、他の存在の利益を侵害するのではなく、むしろそれを増加させるものとなる。なぜなら「自己の拡張を通じて、私たち自身にとっての最善がまた他の存在にとっての最善にもなっている」からである(ネス[1997] 279)。ネスによれば、こうした環境に対する共生の思考は個々人がそれぞれ発展させるべきものであり、そうして出来上がった「生態圏内の生命の状況に啓発された哲学的世界観あるいは体系」を彼は「エコソフィ(ecosophy)」と呼ぶ(ネス[1997] 63)。
ディープ・エコロジーは幅広い思想的背景から生み出されてきたと言える。ネスが頻繁に触れるのはB・スピノザ(Baruch de Spinoza)やM・K・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)であるが、他にも I・カント(Immanuel Kant)などの西洋哲学、禅などの東洋思想、そしてアニミズムへの言及も見られる。他の環境思想との共通性としては、A・レオポルド(Aldo Leopold)の「土地倫理(land ethic)」やJ・ラヴロック(James Lovelock)の「ガイア理論(the Gaia hypothesis)」との類似性が挙げられる。さらにネスの思想は、アメリカを中心とした環境思想家達に多大な影響を与えた。特にB・ディヴォール(Bill Devall)、G・セッションズ(George Sessions)、ネスの著書の英訳者であるD・ローゼンバーグ(David Rothenberg)、そしてF・カプラ(Fritjof Capra)らの名を挙げることができる。なかでもセッションズは、1985年に「プラットフォーム原則」と呼ばれるディープ・エコロジー運動における基本的な行動基準をネスと共に発表している(ネス、セッションズ 75-82)。
ディープ・エコロジーの思想については、これまでに多くの批判がなされている。それは例えば、自然を単純に良きものとみなす、またはそれを過度に神秘化する傾向に対するものや、全体主義的な要素(特にネスとセッションズにより提案された人口減少の必要性)に関する懸念などが挙げられる。なかでもM・ブクチン(Murray Bookchin)らのソーシャル・エコロジーは、ディープ・エコロジーにおいては社会的な要素、すなわち環境破壊を悪化させている元凶である政治・経済的な搾取の構造に対する考察が欠けていることを指摘している。またエコフェミニズムの側からは、ディープ・エコロジーにおける拡大された自己の概念が中性化されており、女性の抑圧が忘却されていることに対する批判が見られる。しかしながらこれらの思想にはディープ・エコロジーと共通する点も多い。よってこうした批判はディープ・エコロジーを否定するものというよりは、それを再考し補完していく契機として捉えられるべきものと思われる。
(巴山岳人)
参考文献
・フリチョフ・カプラ、アーネスト・カレンバック『ディープ・エコロジー考―持続可能な未来に向けて―』靍田栄作訳(佼成出版社、1995)
・アラン・ドレングソン、井上有一共編『ディープ・エコロジー―生き方から考える環境の思想』井上有一監訳(昭和堂、2001[原著:1995])
・アルネ・ネス「シャロー・エコロジー運動と長期的視野を持つディープ・エコロジー運動」ドレングソン、井上 31-41.
---. 『ディープ・エコロジーとは何か―エコロジー・共同体・ライフスタイル』斎藤直輔、開龍美訳(文化書房博文社、1997[原著:1989])
・アルネ・ネス、ジョージ・セッションズ「ディープ・エコロジー運動のプラットフォーム原則」ドレングソン、井上 75-82.
・Devall, Bill, and George Sessions. Deep Ecology. Salt Lake City: Gibbs Smith, 1985.
土地倫理[land ethic]
「大地の倫理」とも訳される。土地倫理は、米国森林局に務めた後にウィスコンシン大学で教鞭をとったA・レオポルド(Aldo Leopold)が『野生のうたが聞こえる』の第三部「自然保護を考える」に収めたエッセイ「土地倫理(ランド・エシック)」で提示した概念である。土地倫理は、土地利用に関して、近代以降の「人間中心主義(anthropocentrism)」的な見方から「環境中心主義(ecocentrism)」的な見方への転換を説き、1970年代から欧米を中心に展開されてきた「環境倫理学」の原点となった。
レオポルドは、奴隷解放の歴史を引き合いに出し、これまで倫理則は個人間と人間の共同体に対してのみ適用されてきたが、倫理則適用範囲の拡張は、進化の筋道としても生態学的にも必然であると主張する。レオポルドは、C・ダーウィン(Charles Darwin)の説を取り入れ、個体は相互依存的な諸部分から成る「共同体」の一員であって、個々の本能は共同体の他の構成員と競争するように仕向けるが、その倫理は他の構成員と協力するように仕向けると説明する。そして「共同体」という概念を、人間社会だけでなく、「土壌、水、植物、動物、つまりはこれらを総称した『土地』」(レオポルド 318)にまで拡大する。この引用からわかるように、レオポルドの言う「土地」は、山、川などの環境と当該地域に棲息する生物を包摂し、「生態系」とほぼ同じ意味である。
レオポルドは、倫理的視点を初期の生態学理論と融合させ、生物個体の利益ではなく生物共同体全体の利益を重視する。土地利用は「生物共同体の全体性、安定性、美観を保つものであれば妥当だし、そうでない場合は間違っている」(レオポルド 349)とされ、生態系を重視する土地倫理においては、人間の利益のみを重視した土地利用は批判される。倫理はその土地に生きる人間と動植物の関係全体に適用されるべきであり、土地倫理は、ヒトという種の役割を、土地という共同体の征服者から単なる一構成員へと変える。
J・ベアード・キャリコット(John Baird Callicott)は、レオポルドを環境倫理学の父として評価し、土地倫理の概念に哲学的な基礎づけを行ってきた。R・ナッシュ(Roderick F. Nash)は『自然の権利』において、レオポルドが有機体としての土地概念を形成する上で、同時代のロシアの思想家P・D・ウスペンスキー(Peter D. Ouspensky)の『第三のターシャム思考規範・オルガヌム』(英訳1920年)を読み、影響を受けたことを指摘している。
(浅井千晶)
参考文献
・加藤尚武『環境倫理学のすすめ』(丸善ライブラリー、1991)
・小坂国継『環境倫理学ノート―比較思想的考察』(ミネルヴァ書房、2003)
・カレン・コリガン=テイラー「大地の倫理」文学・環境学会編『たのしく読めるネイチャーライティング』(ミネルヴァ書房、2000)252.
・ロデリック・F・ナッシュ『自然の権利―環境倫理の文明史』松野弘訳(ちくま学芸文庫、1999[原著1990])
・アルド・レオポルド『野生のうたが聞こえる』新島義昭訳(講談社学術文庫、1997[原著:1949])
動物[animals]
地球上には、少なくとも150万種の動物が存在する。哺乳類を含む脊椎動物が占める割合は、そのうちの約5%とされる。自然科学の分野において、動物を研究対象とする主だった学問としては、動物学(zoology)、生態学(ecology)、生物学(biology)がある。人文科学の分野では、「動物と人間の関係性」が議論の主たる対象とされ、その研究傾向は、「動物表象の文化的分析(cultural analysis of the representation of animals)」と、「動物の権利をめぐる哲学的考察(philosophical consideration of animal rights)」の2つに分けられる(Garrard 136)。
「動物表象の文化的分析」の代表例としては、美術評論家J・バージャー(John Berger)による1977年の論文「なぜ動物を観るのか?(“Why Look at Animals?”)」が挙げられる。バージャーはここで、「動物とは常に観察される存在である」と指摘しつつ(27)、動物園の来園者を例に、「視線を相手〔動物〕から返されることのない人間は孤独である」とも述べている(42)。すなわち、動物と人間の関係性の中心に位置するのは「観察(observation)」という行為であり、それは、人間が動物に対して一方的に行使してきた、権力の一形態なのである。
それゆえに、「観るもの」と「観られるもの」という不平等な関係は、例えば植民地主義にみられる「搾取するもの」と「搾取されるもの」という関係の本質であり、その暗喩にもなる。フェミニズム批評家のD・ハラウェイ(Donna Haraway)は、動物研究と植民地主義の類似関係を指摘しながら、人間に最も近い存在とされる霊長類を扱った霊長類学(primatology)の歴史を分析し、猿や類人猿を観察する行為が、西欧世界における社会的・文化的規範の構築に深く関係していることを明らかにした。1989年に発表された大著『霊長類学的ヴィジョン(Primate Visions)』は、自然科学/人文科学/社会科学の諸領域を横断する、画期的な「動物表象の文化的分析」である。
一方で、「動物の権利をめぐる哲学的考察」としては、『動物の解放(Animal Liberation)』を著わした哲学者P・シンガー(Peter Singer)の仕事が有名だが、ここでは議論の散逸を避けるため、ふたたびハラウェイの著作を参照したい。2003年に発表されたハラウェイの『コンパニオン・スピーシーズ・マニフェスト(The Companion Species Manifesto)』は、犬のような愛玩動物や、馬のような使役動物を、人間という「種」の「コンパニオン/伴侶」であると説明する。もちろん、基本的に「コンパニオン」という概念は、人間に近しい動物の権利を主張するものである。しかしながら、そこに含意されるのは、動物という存在を議論する上で、それらと人間社会がいかなる関係性にあるかを考察することの重要性である。「コンパニオン」とは、あくまでも社会化された動物たちを対象とする概念であり、私たちはここから、社会化されていない動物である「野生動物(wildlife)」や、あるいは食肉の対象とされる「家畜(domestic animals)」のような存在へと、考察の対象を広げていくことが可能となるのだ。また、野生動物も家畜も、それが実験の対象とされる際には「実験動物(laboratory animals)」と呼ばれ、それらの「権利」に関しては、特に慎重な議論が必要とされる。これに関しては、同じくハラウェイの著書『慎ましい証人(Modest_Witness@Second_Millennium)』における、実験用マウスの議論を参照されたい。
最後に、従来の「文化的分析」とも「哲学的考察」とも異なる、「感情的考察」とでも呼ぶべきアプローチで注目を集めているのが、T・グランディン(Temple Grandin)の仕事である。動物の感情を第一に考える動物学者であるグランディンは、家畜の側に立った食肉処理施設を設計するなど、従来の西欧的思考法とは異なるアプローチで動物という存在に向き合っている。彼女の主な著作として、C・ジョンソン(Catherine Johnson)との共著『動物感覚―アニマル・マインドを読み解く(Animals in Translation)』を挙げておく。
(波戸岡景太)
参考文献
・テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン『動物感覚―アニマル・マインドを読み解く』中尾ゆかり訳(NHK出版、2006[原著:2005])
・ピーター・シンガー『動物の解放:改訂版』戸田清訳(人文書院、2011[原著:1975])
・ジョン・バージャー「なぜ動物を見るのか? ジル・エローに捧ぐ」『見るということ』飯沢耕太郎監修、笠原美智子訳(ちくま学芸文庫、2005[原著:1980])10-42.
・Garrard, Greg. Ecocriticism. New York: Routledge, 2004.
・Haraway, Donna. The Companion Species Manifesto: Dogs, People, and Significant Otherness. Chicago: Prickly Paradigm, 2003.
---.Primate Visions: Gender, Race, and Nature in the World of Modern Science. New York: Routledge, 1989.
---. Modest_Witness@Second_Millennium.FemaleMan©_Meets_OncoMouse™: Feminism and Technoscience. New York: Routledge, 1997.
2013年5月14日公開、2013年7月14日更新
人間中心主義/神人同型(同性)論[anthropocentrism / anthropomorphism]
「人間中心主義(anthropocentrism)」は、人間の権利は人間以外の生物の権利に優先されるという仮説・概念である。ただし、L・ビュエル(Lawrence Buell)によれば、その中には、人間の利害が何よりも尊重されるべきだという「強い人間中心主義」から、人間中心主義をなくすことは不可能である、あるいは、好ましくないと考える「弱い人間中心主義」まで含まれる。さまざまな態度があるものの、この考え方は、個々の種の権利よりも生態系の権利を重視する「環境中心主義(ecocentrism)」や、すべての動植物(もちろん人間も含まれる)は大きな生命ネットワークや生命共同体の一部であり、人間だけを特権的に扱うべきでないとする「生命中心主義(biocentrism)」の反意語として位置づけられている(177-86)。
こうした人間中心主義の枠組みを伴うとされる概念が、「神人同型(同性)論(anthropomorphism)」である。本来は神学の用語であったこの言葉は、現在では、動物や植物といった人間以外の存在(いわゆる自然)に人間的な感覚や感情、意味などを読みとる思考を指す言葉として用いられることが多く、動植物を擬人化した表現や、自然を人間に見立てたメタファー(例:「怒れる海」「堂々たる山々」)など、人間の感情や思考の枠組みを当て嵌めることによって自然を理解しようとする言説は枚挙に暇がない(山里 230)。なおビュエルは、神人同型(同性)論は、人間中心主義の枠組みを伴うものの、両者に明らかな相互関連はないとする立場もあるとし、J・ラスキン(John Ruskin)による批評を挙げている(182)。
人間という種の存在を特権化する人間中心主義の考え方は、アニミズム的な思考、すなわち、自然界の事物には霊魂や精霊が宿るとする思考や、人間を超える存在として自然を捉える考え方と対立する概念としても論じられる。たとえばC・マニス(Christopher Manes)は、アニミスティックな自然との関わり合いが失われた結果、人間中心主義的な自然観が支配的になったと論じている(マニス 42)。マニスが、西欧文化における自然との体系的なアニミスティックな関係が失われた契機として考えているのは、読み書き能力とキリスト教釈義の導入である。中世に普及したこの二つの要因により、かつて魂が宿り、声を持つ存在とされていた自然は、「沈黙」する物質・物体へと追いやられることとなった。さらに、ルネサンス期に入り、人類を獣より高く天使よりは低いと位置づけるキリスト教的世界観、いわゆる「存在の大いなる連鎖(The Great Chain of Being)」のコスモロジーが、人間という種の自然界に対する優位性の表象として捉えられるに至って、自然とのアニミスティックな対話は失われ、人間は「存在の大いなる連鎖」において唯一の語る主体としての地位を獲得したとされる。これが人間中心主義の考え方と並行することは言うまでもない。また人間中心主義の考え方は、西欧の哲学や精神に一貫して流れているとされ、古くはプラトンのイデア論やアリストテレスの世界観にまで遡ることができるとも言われる(岩井 248)。
※anthropocentrismとhomocentrismは、共に「人間中心主義」と訳されるが、前者が人類だけでなく他の霊長類も含むのに対し、後者は人間に限定する用語として用いられるとされる(ビュエル 186)。
(山田悠介)
参考文献
・岩井洋「ホモセントリズム」文学・環境学会編『たのしく読めるネイチャーライティング』(ミネルヴァ書房、2000)248.
・ローレンス・ビュエル『環境批評の未来―環境危機と文学的想像力』伊藤詔子他訳(音羽書房鶴見書店、2007[原著:2005])
・クリストファー・マニス「自然と沈黙:思想史のなかのエコクリティシズム」城戸光世訳 ハロルド・フロム、ポーラ・G・アレン、ローレンス・ビュエル他『緑の文学批評―エコクリティシズム』伊藤詔子他訳(松柏社、1998)35-62.[原著:1992]
・山里勝己編「ネイチャーライティングキーワード集」『ユリイカ』第28巻4号(1996): 226-33.
ネイチャーライティング[Nature Writing]
本格的に“nature writing”という用語が使用され始めたのは、20世紀はじめのアメリカにおいてであると考えられている。19世紀以前は“natural history”という言葉が使われていた。
T・ライアン(Thomas J. Lyon)の『この比類なき土地―ネイチャーライティング小史』(1989年)によれば、ネイチャーライティングとは、博物誌に関する情報(natural history information)、自然に対する作者の感応(personal reaction)、自然についての哲学的な考察(philosophical interpretation)の三つの特徴を備えた文学ジャンルということができる(5)。さらにライアンはネイチャーライティングを次の七つのカテゴリーに分類している。1.野外ガイドおよび専門的な論文、2.博物誌のエッセイ、3.A・ディラード(Annie Dillard)の『ティンカー・クリークのほとりで(Pilgrim at Tinker Creek)』(1974年)のような自然逍遥、4.H・D・ソロー(Henry David Thoreau)の『ウォールデン―森の生活(Walden; Or, Life in the Woods)』(1854年)やE・アビー(Edward Abbey)の『砂の楽園(Desert Solitaire)』(1968年)に代表される孤独と僻地での生活をテーマとしたエッセイ、5.ソローの『メインの森(The Maine Woods)』(1865年)のような旅と冒険についてのエッセイ、6.農場の生活に関するエッセイ、7.自然における人間の役割についての文章である(5)。
そして、ライアンはネイチャーライティングの決定的な意義は、それによって読者がエコロジカルなものの見方に目覚めることである、と述べている(xii)。自立したジャンルとしてネイチャーライティングが注目され、現代のアメリカのアカデミアのカリキュラムに組み込まれ始めたのは、1976年頃のことである(山里 226)。
例えばL・ビュエル(Lawrence Buell)に従えば、エコクリティシズムは90年代の「第一波」と、21世紀に入ってからの「第二波」に分類されるが、「第一波」の最も大きな特徴は、ネイチャーライティングへの関心の強さであるという。すなわち、野生の自然やウィルダネスに着目し、近代化が人間にもたらす弊害を考え、自然の意味、自然と人間の関係への省察へと思索を深める傾向がみられたわけだが、それらはまさしくネイチャーライティングの特徴であった(結城 94)。
ネイチャーライティングに関する著書をみてみると、1989年の前述したライアンの著作やR・フィンチ(Robert Finch)とJ・エルダー(John Elder)が編集したNorton Book of Nature Writing(1990年)が出版され、90年代に入るとS・スロヴィック(Scott Slovic)やP・A・フリッツェル(Peter A. Fritzell)などの研究書が次々と出版された。1993年には、学術誌ISLE: Interdisciplinary Studies in Literature and Environmentが創刊された。1995年に出版されたビュエルのThe Environmental Imaginationは、ネイチャーライティングというジャンルがいかに文学的にも文化的にも重要であるかを強く読者に印象づけた(山里 226)。
野田研一の『交感と表象』(2003年)によると、ネイチャーライティングというジャンルが日本で認知されるようになったのは、1990年代である(10)。1993年、雑誌『フォリオa』の特集号「<自然>というジャンル―アメリカ・ネイチャー・ライティング」で文学上の一つのジャンルとして、ネイチャーライティングという用語が初めて日本で使用された。その後、『英語青年』(1995年2月号)、『山と渓谷』(1995年2月号)、『グローバルネット』(1995年5月号)、『ユリイカ』(1996年3月号)などでネイチャーライティングが特集され、注目されていった(野田 10)。
ネイチャーライティングは、一般的に自然と人間を扱う一人称形式のノンフィクションを指すことが多い。しかし、現在では、「環境文学」(environmental literatureまたはenvironmental writing)と表現する場合には、人間中心主義的な世界観を批判し、自然環境と人間の対話や交流、共生を主なテーマとするノンフィクション、詩、小説、エッセイ、演劇など、自然が大きく取り上げられるすべての文学を含む(山里 227)。
(石井英津子)
参考文献
伊藤詔子『よみがえるソロー―ネイチャーライティングとアメリカ社会』(柏書房、1998)
スコット・スロヴィック、野田研一「序―エコクリティシズムの方位」スロヴィック、野田編著『アメリカ文学の<自然>を読む』(ミネルヴァ書房、1996)1-12.
高田賢一「ソローとネイチャーライティングの系譜」『STUDIO VOICE』第350号(2005):42-43.
野田研一『交感と表象―ネイチャーライティングとは何か』(松柏社、2003)
文学・環境学会編『たのしく読めるネイチャーライティング』(ミネルヴァ書房、2000)
山里勝己「ネイチャーライティング」『ユリイカ』第28巻4号(1996):226-27.
結城正美「エコクリティシズムをマップする」『水声通信』第33号(2010):86-98.
トーマス・ライアン『この比類なき土地―アメリカン・ネイチャーライティング小史』村上清敏訳(英宝社、2000[原著:1989])
2015年1月21日公開
場所の感覚[sense of place / place-sense]
場所の感覚とは、身体的、社会的、歴史的に構築された、人と場所との関係性を表す用語である。エコクリティシズムにおける「場所の感覚」の参照枠と考えられるものに、地理学者Y・トゥアン(Yi-fu Tuan)の場所論がある。トゥアンによれば、「空間」は「自由性」を意味し、そこに種々の経験が作用することで「安全性」を示す「場所」が生み出される(トゥアン 11)。言い換えれば、「最初はまだ不分明な空間は、われわれがそれをもっと知り、それに価値をあたえていくにつれて次第に場所になっていく」(トゥアン 17)。つまり単純化するなら、<空間+経験=場所>と定式化される。例えば、「幼い子供にとって、親はまず第一の『場所』」であり、そこで「適切な栄養と保護をあたえられて健康に生きていく」(トゥアン 241-43)。人間や動物は、成長するにつれて、視覚をはじめ、聴覚、嗅覚、触覚などの感覚や身体性、記憶、学習を通して、世界を分節化していく。そしてトゥアンは「文学がもつ一つの機能」として、「親密な経験に可視性をあたえること」を挙げ、「文学は、われわれが気づかずにすごしてしまうかもしれない経験の領域に注目する」と指摘している(トゥアン 290)。この点に「場所の感覚」という概念と文学との密接な関係性、さらには環境文学というジャンルのひとつの意義が見出される。
移住と定住をめぐる議論も、場所論を彩ってきた。移動が支配的な文化であった19世紀のアメリカにおいて、H・D・ソロー(Henry David Thoreau)はウォールデン湖畔に2年間定住するという徹底した形でローカリズムを提示した。そのことが契機となり、特定の場所における長期間の経験が、その土地の環境をより深く理解するうえで重要な要素とされるようになる。山里勝己が指摘するように、その定住を志向する作家として、W・ステグナー(Wallace Stegner)やG・スナイダー(Gary Snyder)、W・ベリー(Wendell Berry)らの名が挙げられる。
他方、J・ダニエル(John Daniel)は定住から移住へと考えを改め、場所の感覚を重視することの弊害を説いた(ダニエル 99)。そして「根を持たず、場所すら持たずにいる」(ダニエル 105)ことを好むと考える作家の系譜として、ダニエルは、E・アビー(Edward Abbey)やJ・ミューア(John Muir)の名を挙げている。ソロー型の「場所」、すなわち生まれ故郷であり熟知した場所をあえて選ばす、過度の感情移入や自己投影を拒む砂漠という場所に自らを定位している。近年の動向としては、U・ハイザ(Ursula Heise)が、以上のような場所の感覚をめぐる振幅に対し、場所論の中心的な基軸であった「ローカリズム」の相対化を試みるため、「コスモポリタニズム(cosmopolitanism)」の視点を提唱している。
以上のように、場所の感覚は、移動/定住、ローカル/グローバルのせめぎ合いのなかで、常にその定義が再検討されるべき用語であり、また、哲学や地理学における場所論や風景論とも密接な関係がある。さらには、場所をめぐる権力や政治性という問題域については、ポストコロニアリズムや生態地域主義とも連動する用語である。
(山本洋平)
参考文献
・ジョン・ダニエル「根を持たぬ生き方」『ユリイカ』第28巻4号(1996): 99-107.
・イーフー・トゥアン『空間の経験』山本浩訳(筑摩書房、1993[原著:1977])
・ビュエル・ローレンス『環境批評の未来―環境危機と文学的想像力』伊藤詔子他訳(音羽書房鶴見書店、2007[原著:2005])
・山里勝己「場所の感覚」文学環境学会編『たのしく読めるネイチャーライティング』(ミネルヴァ書房、2000)246.
・Abbey, Edward. Desert Solitaire: A Season in the Wilderness. New York: Simon & Schuster, 1970.(エドワード・アビー『砂の楽園』越智道雄訳[東京書籍、1993])
・Heise, Ursula K. Sense of Place and Sense of Planet: The Environmental Imagination of the Global. Oxford: Oxford UP, 2008.
パストラル[pastoral]
狭義には、田園の理想郷を舞台に牧人達が恋の歌を競い合うという文学の一様式。その起源は古代ギリシャのテオクリトス(Theocritus)にまで遡るが、それを継承してパストラル文学の礎を築いたのは、古代ローマのウェルギリウス(Virgil)の『牧歌(Eclogues)』である。舞台は山間の隔絶地アルカディアに置かれ、そこでの生活が自然讃歌と共に黄金時代の理想郷に重ねられて、自然・動植物・人間(牧人)による完全なる調和の世界が展開する。この作品はローマ在住の読者を想定しているが、このことは田園の理想郷の希求は都会の文明人の視点からのものであったことを意味する。すなわち、そこには都会と田園という弁証法的な対立あるいは往還(retreat & return)の図式が認められるのであり、その中での自然と人間とのあるべき関係の探究というテーマは、形式的な約束事が消滅したあともパストラルと呼べるものの中に残ることになる。
パストラルに描かれた理想郷は、ウェルギリウス以後どのような変化を辿ったのか。田園を自然と人間の幸福な調和の世界とみなす古典的パストラルの伝統は、ルネサンス期に入ると労働とは無縁の羊飼い達が「ロクス・アモエヌス(心地よい場所)」を活躍の場とするE・スペンサー(Edmund Spenser)やP・シドニー(Philip Sidney)らの作品において復活する。しかし、産業・農業革命などの影響によって田園社会が変質する18世紀以降、虚構のアルカディアは失われて田舎の厳しい現実に目が向けられ始める。伝統と現実との乖離の中でパストラルの不可能性を説くこの時代の作品を、T・ギフォード(Terry Gifford)はアンチ・パストラル(anti-pastoral)と呼ぶ。その中には、悲惨な農民の生活を強調したG・クラッブ(George Crabbe)の『村(The Village)』(1783)やW・ワーズワス(William Wordsworth)の「マイケル(“Michael, A Pastoral Poem”)」(1800)などが含まれる。
パストラルが隆盛を見た古代地中海世界やルネサンス、ロマン派期のイギリスなどは、いずれも高度な都市文明が発達してテクノロジーの進歩が社会を揺り動かしたという共通点を持つ。そのような背景があればこそ、人間の影響力の及ばない不変・不動の自然環境の持つ力が求められたと言える。ところが、その状況は近代化の中で変化し、自然は人間の手によって変更可能なものとなってその独立性・永遠性を失ってゆき、都会と田園の区別は難しくなる。田園の喪失のあとには何が来るのか。新しい時代のパストラルの中で、都市文明への批判の道具にすぎなかったとも言える自然は主役となり、その意味が問われてゆく。
パストラルもアンチ・パストラルも成立しえなくなった時代のパストラルをギフォードはポスト・パストラル(post-pastoral)と呼び、それを通して自然への畏怖を持ってその本質を理解しつつ自然との新たな関係を構築してゆくべきであると説く。ギフォードが例として挙げているのは、W・ブレイク(William Blake)から始まってH・D・ソロー(Henry David Thoreau)、J・ミュア(John Muir)、D・H・ロレンス(D. H. Lawrence)、T・ヒューズ(Ted Hughes)、A・リッチ(Adrienne Rich)らの作品であり、ポスト・パストラルの時代は近代の環境思想の発展の過程と重なる。J・バレルとJ・ブル(John Barrell and John Bull)は20世紀始めのW・B・イェイツ(W. B. Yeats)らの作品をもってパストラル文学の終焉としているが、環境批評の視点の導入によってパストラルは、足下の日常から広大なウィルダネスまで我々を取り巻く環境全体を考える、未来をも見据えた重要な文学として、環境主義(environmentalism)の地平を拡げていると言える。
最後に、日本におけるパストラルについても触れておきたい。明治期に西洋文学が流入する中で、パストラルも自然と人生との結びつきを考える言説の一つの準拠枠として取り入れられた。国木田独歩の『武蔵野』(1901)はその例として挙げることができる作品であるが、そこで独歩は、大都市周縁部にあって「生活と自然とが・・・密接している」武蔵野という場所を理想郷としてパストラル世界を描出している。これは、文明と自然、或は都会と田園という西洋における対立概念をどのように自らのものとして表現するのかという、日本の作家達が直面した問題に対する答えの一つであったと言えるだろう。
(今村隆男)
参考文献
・生田省悟「脱中心としてのパストラル―自然をめぐる近代の言説から」『フォリオa』第5号(1999):45-54.
・ハロルド・フロム、ポーラ・G・アレン、ローレンス・ビュエル他『緑の文学批評―エコクリティシズム』伊藤詔子、横田由理、吉田美津他訳(松柏社、1998)
・ジョナサン・ベイト『ロマン派のエコロジー―ワーズワスと環境保護の伝統』小田友弥、石幡直樹訳(松柏社、2000[原著:1991])
・レオ・マークス『楽園と機械文明:テクノロジーと田園の理想』榊原胖夫、明石紀雄訳(研究社出版、1972[原著:1964])
・ジェイムズ・C・マキューシック『グリーンライティング―ロマン主義とエコロジー』 川津雅江、小口一郎、直原典子訳(音羽書房鶴見書店、2009[原著:2000])
・Buell, Lawrence. The Environmental Imagination : Thoreau, Nature writing, and the Formation of American Culture. Cambridge, Mass.: Belknap P of Harvard UP, 1995.
・Garrard, Greg. Ecocriticism. Abingdon: Routledge, 2004.
・Gifford, Terry. Pastoral. London : Routledge, 1999.
注記
日本語で書かれた環境文学関連の用語集としては、これまでに以下のものが刊行されています。本用語集はそれらの成果を踏まえた上で作成されたものであり、合わせて参照されることをお勧めします。
1.山里勝己編「ネイチャーライティングキーワード集」『ユリイカ』第28巻4号(1996):226-33.
2.文学・環境学会編「キーワード集」『たのしく読めるネイチャーライティング』(ミネルヴァ書房、2000)242-63.
3. ローレンス・ビュエル「[エコクリティシズムと環境]批評用語集(グロッサリー)」『環境批評の未来―環境危機と文学的想像力』伊藤詔子他訳(音羽書房鶴見書店、2007)171-94.
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【(執筆者名)「(項目名)」『環境文学用語集』文学・環境学会編 (アクセスの日付)<(項目のURL)>】